2009年7月17日 (金)

8月1日をもってサイトを休止します

来る8月1日で歯医者さんの一服はサイト開設7年となります。何気ない歯医者の日常について書こうと思い立ち、サイトを立ち上げ、書き続けて7年が過ぎるわけです。何とか試行錯誤をしながらここまで続けてこられたわけですが、この区切りの日にサイト更新を休止することにしました。

最近、いろいろと雑用が増え、思ったように日記のことを考え、アイデアを思い浮かべ、書く時間的な余裕、精神的余裕が極度に無くなってきました。正直書きますと、精神的にも肉体的にもかなりきつい日が続いています。このままでは自分の体が持たなくなることは明白です。

まだまだ働かないといけない身です。全ての身の回りのことを見直した結果、これまで更新し続けてきた歯医者さんの一服の日記の更新を8月1日をもって休止することにしました。

これまで多くのテキストサイト、日記、ブログが現れ、消えていきました。こうしたサイトの多くが何のアナウンスもないまま、消えていくのが常ですが、僕はそうしたことが嫌で、同じ更新を休止するなら、事前に知らせてから休止したいと考えていました。

この度、このことを実行するわけですが、悔いが無いかと言われれば、無いとは言い切れないのが悲しいところではあります。ただ、どうも限界みたいなものを感じ出したのも事実です。いろいろと考え悩んだ結果、休止することに決めました。

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2009年7月16日 (木)

約束を反故にした自民党古賀選対委員長

昨日、地元歯科医師会の某先生から伝え聞いた話です。

保険医療では、医療機関を受診した患者さんは、治療終了後、かかった医療費の自己負担分を支払ってもらいます。保険証にはどれくらい負担するか、負担割合が書いてあります。3割の自己負担の人が多いはずですが、中には2割や1割、生活保護の方の場合は負担が無い場合もあります。また、上限付きの定額払いの方もいます。

窓口で支払った残りの医療費は、患者さんが所属する健康保険組合へ請求するわけです。医療機関では月末を区切りにし、その月にかかった医療費の窓口負担分以外を診療報酬明細書(レセプト)にまとめ、社会保険の場合は各都道府県単位の社会保険支払基金へ国民健康保険や後期高齢者保険の場合は各都道府県単位の国民健康保険連合会へ提出することになっています。

このレセプトですが、これまでは紙で印字、または手書きしたものが主流でしたが、平成23年度からは全ての医療機関でオンラインによる請求が全ての保険医療機関で義務化されることになっています。

この義務化に対し、医療業界は猛反発しています。特に、これまで地域医療を支えてきた高齢の医師はレセプトオンライン化に対応することができないとして、レセプトオンライン化が全ての医療機関で義務化されれば保険医を辞めるか、廃業するしかないと宣言されている方が多く、その数は全ての医師の10%近くにまで達しているとされています。

現在、ただでさえ医師不足が叫ばれている中、10%近い医師が廃業するとなると地域医療は益々混迷を深め、成り立たなくなる可能性が極めて高いと言われています。

そのため、医師会や歯科医師会などは平成23年度からのレセプトオンライン化の手上げ化、すなわち義務化を取り下げるよう厚生労働省に訴え続けていますが、厚生労働省は全く聞く耳を持ちません。一度決めたことは必ず実施すると。医療の現状を詳しく説明しても全く理解してもらえない。

そこで、政治に訴えようと与党を中心にレセプトオンライン化の取り下げを与党の政治家を中心に働きかけてきました。

このような政治家の中に、今世間を騒がしている政治家の一人古賀誠自民党選挙対策委員長がいたのだとか。某医療関係の会合に招かれた古賀氏は、レセプトオンライン化義務化について、現状はよく存じていると言った上でこの述べたとされています。

「レセプトオンライン化義務化は法律で決められたものではありません。厚生労働省の省令です。いつでも変えることができます。先生方に迷惑をかけるようなことは決してありません。」

その古賀氏、レセプトオンライン化どころではなさそうで、自民党の選挙対策委員長の辞表をお出しになったそうですが、麻生総理を中心に必死に慰留されているのだとか。

誰が自民党のリーダーになっても今の自民党の混迷を抑えることはできないでしょう。それは自民党所属の議員が皆わかっているはずなのに、総裁を変えれば少しは来る選挙に有利になるのではないかという淡い希望を持っている輩が、いわゆる麻生おろしに一生懸命になっているようにしか思えません。

まあ、そんな自民党のゴタゴタは別にして、少なくとも今の与党自民党にレセプトオンライン化義務化反対を働きかけることはできないのは明白です。古賀氏の“先生方に迷惑をかけるようなことは決してありません”という発言は、実質反故にされたようなもの。今の自民党も先行き不透明ですが、医療の世界も今後ますます先行きが不透明になるのは確かかもしれません。

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2009年7月10日 (金)

最近の子は足が長くなったか?

ある程度の年齢を重ねると、自分たちよりも若い世代の人に対して

「最近の子は・・・・」

「今の子は・・・・・」

「昔は・・・だった」

といった言葉を口にする機会が多くなってくるかもしれません。自分たちのライフスタイル、考え方、行動などが若い世代のそれと異なることが多いからでしょうが、中には本当だろうかと思いたくなるようなこともあります。

以前からよく耳にしたこと一つに

「最近の若い人は足が長くスタイルが良くなった」

という言葉があります。一見すれば何となく賛同できそうなこれらの指摘ですが、果たしてこれが本当なのだろうか?以前から僕は素朴な疑問を持っていました。

そんな疑問が氷解したのは昨日のことでした。

僕は学校歯科医を務める地元小学校の学校保健委員会に参加してきました。今回の学校保健委員会では6月までに行われた生徒たちの定期健康診査の結果が報告されました。僕が担当した歯科検診の結果も報告され、コメントを述べてきたのですが、その際、養護教諭の先生が提出した参考資料の中に身長に占める足の長さの割合という資料があったのです。

この資料は平成20年度と昭和53年度における5歳から17歳までの各年齢に身長に占める足の長さの割合をパーセントにしたものでした。どの調査の出典かを確認できませんでしたが、厚生労働省が行ったある調査を基にした結果だそうです。

どうしてこのような比較をしたかといいますと、平成20年度に対し昭和53年度というのは概ね親の世代だということを前提に調査されたとのことです。足の長さに関しては、身長から座高を引いた値を足の長さにしているとのこと。

さて、その結果ですが、以下のようになりました。

6歳 昭和53年度 44.0% 平成20年度 44.3%

12歳 昭和53年度 46.7% 平成20年度 46.7%

15歳 昭和53年度 46.9% 平成20年度 46.7%

17歳 昭和53年度 46.6% 平成20年度 46.2%

全身に占める足の長さの割合は昭和53年度と平成20年度ではほとんど変わらない、場合によっては昭和53年度の方がごくわずかながらも平成20年度を上回っていることがわかるのではないでしょうか。

もちろん、このような結果には個人差があります。データの偏りもあります。全国の平均値ですので、各地域によって差があるかもしれませんし、平均値で比較するのは無理があるかもしれません。

ただ言えることは、常日頃世間で言われているようなことではない可能性が高いということです。すなわち、今の若い世代は決して足が長くなったわけでもないという事実です。

その一方、身長は毎年増えていっているのは事実のようです。

11歳での身長は

明治33年 127.9センチ

大正14年 130.0センチ

昭和14年 132.9センチ

昭和23年 130.4センチ

昭和40年 138.5センチ

平成元年 144.3センチ

平成19年 145.1センチ

若い世代は確実に身長は大きくなり、その結果として足の長さは長くはなっているが、身長に占める割合としての足の長さは長くなっていないというのが実態のようです。

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2009年7月 7日 (火)

ネット相談に消極的な理由

インターネットの普及により様々なことが便利になってきましたが、その利便性の一つにわからないことや疑問に感じたことを気軽に調べることができることがあります。グーグルやヤフーといった検索サイトでいくつかのキーワードを入力し、検索すれば一瞬にして多くのサイトが紹介され、自分の関心のあることの情報を得ることができます。インターネットの情報は玉石混交ですから、信頼できるものやそうでないものがありますが、全く何もわからないよりはある程度の情報を得られる方がいいのではないでしょうか?

このようなインターネットには様々な相談サイトが存在します。医療、法律、税務、恋愛等々いろんなことに悩む人に対して専門家と称する人たちや関係者が相談にのり、回答をするというサイトです。僕の仕事である歯科関係でもいくつかの相談サイトが存在し、何人もの人たちが利用しているようです。中には参考リンク先として僕が過去に書いたログにリンクが張られているサイトもあって驚いたこともあります。

僕はこのような相談サイトを否定するものではありませんが、僕がネット相談の窓口専門家として相談にのることは消極的です。むしろ、答えないと言った方がいいかもしれません。その理由は単純です。相談者の書き込みだけでは相談者の悩み全てを把握することが難しいからです。

相談者は自分が経験したり、感じたこと、悩んだことを相談サイトに書き込みます。中には詳細に書き込んでいるものもあり、悩みが相当なものであることが手に取るようにわかるものもあります。ただ、相談者の視点と専門家の視点とは異なる場合があります。

歯医者の場合です。通常、歯医者では治療前に患者さんに問診を行います。患者さんの悩みを聞き、実際に歯医者が自分の目で確かめたり、追加の検査を行ったりすることにより患者さんの悩みの真の原因を探ります。真の原因らしきことがわかれば、それに対して何らかの対策を講じます。治療を行うこともあれば、薬だけの投薬の場合もあります。また、なにもせずそのまま経過観察をすることもあります。これら診断、判断は患者さんを直に診て、話をして決めることです。

ところが、ネット相談の場合、情報は相談者の書き込みだけです。専門知識、臨床経験を持った専門家が相談者を見ているわけではありませんので、相談者の悩みの本当の原因を見つけることは困難なのです。そのため、どうしても一般論を書かざるをえず、少しでも早く専門家、歯科関係の相談事であれば歯医者への受診を勧めざるをえないのです。

僕が思うには、ネットで相談するのであれば、その前に歯医者へ受診し、相談にのってもらった方がいいのではないかと思うのです。一人で悩み苦しむよりもネットで相談し、ある程度の回答をもらうことは少しは精神的なストレスを解消することにはなるかもしれません。かかりつけ歯医者がいない方や忙しくて歯医者へ通う余裕が無い人にとっては好都合かもしれませんが、真の解決には至らないことが多いのが現実なのです。

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2009年7月 6日 (月)

身辺整理を考える

本来、日記に書くようなことでは無いのですが、最近、何かと雑用が多く、心身ともに疲労が蓄積してきたように感じてなりません。以前であれば適度に気分転換をすればよかったのですが、どうも気分転換をしてもうまく切り替えられないような気がしてなりません。

このままずるずると行ってしまうと本当に精神的に破綻が来る様な気さえしてなりません。やはり精神的にある程度余裕を持ちながら健康に仕事をすること。これに心がけなければならない。そう思うと、この7月に少しばかり身辺整理を考えなくてはならないと思うようになりました。

自分の出来ること、出来ないことを明確に線引きし、出来ること、今しなければならないことに集中する。したくでも後回しできることは後回しにする。今、熟慮を重ねている最中です。

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2009年6月29日 (月)

顔が知られている怖さ

昨日、愚弟夫婦が我が家に遊びに来ました。仕事の都合でなかなか会えない愚弟ですが、昨日は久しぶりに休みだということで我が家を訪れたのですが、その際、義理の妹が僕にこんなことを言ったのです。

「私の知人でお兄さんの姿を見たという人が何人もいますよ。」

「どういうことなの?」

「○○書店で本を読んでいたりとか△△センター(某ショッピングモールのこと)で子供さんを連れて買物をしていたとかいうことを聞いたのですよ。」

「確かにその本屋さんやショッピングモールを訪れることはあるんだけど、どうして僕の顔を知っていたんだろう?」

「兄さん、3年前に○△幼稚園のPTA会長をしていたでしょ。それで顔が知られているんですよ。」

義理の妹の話によれば、知人の中には子弟に○△幼稚園の園児だった人が何人もいて、3年前でも僕がPTA会長だった時のことを覚えているとのこと。僕が全く見ず知らずの人でも、相手からすれば僕は顔が知られている有名人なのだとか。

この話を聞いて僕は怖くなりました。僕自身、何も後ろめたいことをしていることは無いのですが、自分の何気ない行動を自分が知らない人から見られていることがある。それも、かなりの確率で見られている。こんなことになるのだったらPTA会長なんて引き受けなければよかったと思うのは後の祭りかもしれません。

僕などは一地区のローカルな場所で顔が知られているだけの話ですが、もっとテレビや映画、ビデオといった映像などで顔が知られている人の場合、さぞかし毎日の生活に気苦労が絶えないだろうなあと感じます。仕事で顔が知られているだけに、プライベートでちょっとぶらぶらして息抜きしようとしても常に衆人環視されているのは、精神的に大変であることが容易に想像つきます。

とは言うものの、全く何処にも立ち寄らず家や仕事場で閉じこもるわけにもいきません。常に周囲から見られていることをある程度割り切って外に出かけるしかないでしょうが、それにしても顔が知られているのはつらい。油断も隙も無いものです。

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2009年6月26日 (金)

ファラ・フォーセットとマイケル・ジャクソンの死

今朝何気なく見たニュース。びっくりしました。ファラ・フォーセットの死とマイケル・ジャクソンの死。

先日の三沢光晴の時もそうでしたが、ファラ・フォーセットとマイケル・ジャクソンとも僕の青春時代憧れのスターたちでした。抜群のスタイルと金髪の美貌に憧れたファラ・フォーセット。優れた歌唱力とダンスで一世風靡したマイケル・ジャクソン。そんな二人も気が付けば62歳、50歳で今では過去の人となりつつあったのですが、いざ死去が伝えられるとやはり寂しい。自分がそれだけ年を取ったということにもなるのですが、人間って寿命があるのだなあということを改めて強く感じさせられます。

二人の死に哀悼の意をささげます。合掌

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2009年6月25日 (木)

妙齢女性の強烈なオナラ

昨日、某所へ出かけるため電車に乗っていた時のことです。当初、電車の中は込んでおり僕は立っていました。某駅に電車が停車した際、たまたま僕が立っていた目の前の座席の方が席を立ちました。僕は直ぐに空いた席に座りました。最近、何かと雑用が多く、わずかな時間でも仮眠できればと思い座ったのです。

電車の揺れというのは時に心地よいものです。特に疲れて眠気がある場合、眠りを誘発するような程度の間隔と大きさの揺れです。僕も直ぐに眠ろうとしたその時のことでした。何やら異臭を感じました。一体何だろう?と思っていたのですが、その異臭、非常に臭い!明らかに周囲の人からのオナラでした。目をつぶりながらオナラの方向を探ってみると、どうも僕の座っている座席の右方向からでした。何気なく目を開け、右方向を見るとそこには妙齢の女性が座っていました。その他に数人会社員の男性が立っていたのです。このオナラはこの中の誰かだろうなあ?と思っていたのですが、誰一人として平然としておりました。こちらも“誰が臭いオナラをしたんだ!”とも叫ぶこともできず、ただひたすらニオイが消えるのを待つのみ。

そのようなことを考えているうちに電車は別の駅に停車。僕の隣に座っていた妙齢の女性は立ち上がり降りていったのですが、立ち上がった瞬間、わかりました。オナラはこの女性が座っていた辺りが原因でした。オナラの一部が残っており、消えかけていたオナラがまた少し臭ったのでした。

きっとこの妙齢の女性、お腹の調子が悪かったのでしょう。いつもは衆人環境の中で我慢しているオナラが思わず出てしまったのか、出さざるをえない状況にあったことでしょう。もしそうであれば同情します。僕も何度もそんな経験があるものですから。下車したのも何かこのオナラがらみのことがあったのかもしれませんが、それにしてもなかなかに強烈な異臭のオナラ。思わず眠気が吹き飛んでしまった歯医者そうさんでした。

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2009年6月23日 (火)

取り急ぎ更新報告まで

忙しいという言葉を使うことが好きではない歯医者そうさんですが、最近、非常に雑用が多く、暇ではありません。まともに休日を取っていないくらいです。

今日もこれからある所用のため出かけなければならないのですが、自分の日記のことは気になったので合間をみての更新です。内容の無い日記で申し訳ありませんが、取り急ぎの更新報告といったところです。

追伸、メールやコメントのレス、もう少しお待ち下さい。

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2009年6月19日 (金)

口元専門モデルがあってもいいのでは?

先日、よく立ち寄る書店を何気なく見ていると、非常に多くの女性誌が置いてあるのに気が付きました。これら表紙には有名女優やモデルがにこやかに笑みを浮かべながらポーズを取った写真ばかりなのですが、どの被写体も細身のスタイルであることに気が付かされます。僕はモデルのことはよくわからないのですが、これら有名女優やモデルを実際に見てみれば非常に細身の方たちばかりではないかと思います。細身でスタイルのバランスが取れていれば、写真うつりが良く、様々な服やアクセサリーが着こなしているように見えるのでしょう。このような写真を見ながらふと思いついたことがありました。

こうした有名女優やモデルさんですが、体の全てが美しいかと問われれば意外と違ったりするものです。世の中に指先や手、足だけのモデルという人たちが存在するのはそのためで、同じモデルを写しているように見えている写真でも、実際は指先だけは別人なんてことがしょっちゅうあるようです。

ところで、以前から何度も書いていますが、日本人の8割以上は歯周病に罹っています。また、むし歯になったり治療を受け、詰め物や被せ歯をしている人の数も同等かそれ以上いるとされています。別の見方をすれば、全く歯が治療をされず、健康な歯や歯肉を維持している人は非常に限られているということになります。

書店の女性雑誌を見ながら歯医者そうさんがふと感じたことは、健康な歯や口を持った専門モデルという人たちがいてもいいのではないかということでした。

以前から有名人口元チェックなるネタを何度も取り上げてきましたが、有名人と呼ばれる人はほとんどが何らかの歯の治療を受けているといっても過言ではないくらいです。最近の審美歯科の進歩により一般の方には本物の歯かわからないように見える歯でも実際は被せ歯であることがあるもの。人気女優やモデルでも口元を見てみると、歯に全く治療痕が見られない、健康な歯茎を持ち、歯並び、かみ合わせが良い人はほとんどいません。

それならば、口元だけを専門とするモデルがいてもいいのではないか?芸能人は歯が命というキャッチコピーが流行りましたが、口元がおしゃれに、化粧に与える影響は意外と大きなもの。笑顔がすてきなのに口元が健康でなければ、笑顔の魅力も半減してしまうかもしれません。

指先だけや足専門モデルがあるくらいですから、口元専門モデルも既に存在しているかもしれませんが、もしまだそのようなモデルがいないのであれば、非常に希少価値であり、重宝がられるのではないかなあと感じた、歯医者そうさんでした。

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2009年6月17日 (水)

男性専用車両導入への違和感

昨日、何気なくいつも見ているニュースサイトを見ていると、下のような記事が出ていました。以下、この記事からの引用です。

西武鉄道を傘下に持つ西武ホールディングス(HD)が24日開催する2009年度の株主総会に、「男性専用車両」の設置を求める異例の株主提案が提出される。痴漢の冤罪(えんざい)を防ぐためというのが提案の理由で、今回が3度目。賛同者も広がっているという。 同社の招集通知によると、剰余金の配当や取締役の選任といった議案に続いて「女性専用車両および男性専用車両の設置」という項目が株主10人からの提案という形で記載されている。 提案理由として「痴漢対策は女性専用車両の設置などにより、一定の成果をあげているが、痴漢冤罪対策は全くなされていない」と指摘。さらに、男性専用車両の設置は費用も安価などと定款への記載を求めている。 これに対し、同社取締役会は「個別課題を定款に記載することは不適当」と反対の姿勢だ。マナー向上のためのポスターなど犯罪防止活動が一定の効果を上げている上、「利用者からの要望も少ない」とそっけない。 ただ、株主側によると、08年度の株主総会では、同株主提案に対し、書面投票した株主の47.5%にあたる1703人が賛成している。株主総会で定款変更のためには、議決権の3分の2の賛同が必要。西武HDの株式は約32%を米投資ファンド、サーベラスが保有しており、実現のためにはまずこの厚い壁を崩す必要もある。

最近、大手の鉄道会社では当たり前のように設置されている女性専用車両。当初、女性専用車両の導入に関しては賛否両論があったようですが、上の記事に書いてあるように、女性専用車両は鉄道を利用する女性にとっては概ね好評のようです。以前、知人女性の何人かに女性専用車両について尋ねたことがありますが、朝夕のラッシュアワーで女性専用車両があることは有難いことだと言っておりました。

女性専用車両があるなら男性専用車両も設置すればいいじゃないか?この発想に関しては僕は反対はしません。一つの興味深い試みとして導入しても問題はないのではないかと考えます。

ただ、気になるのは男性専用車両を導入する理由です。女性専用車両が痴漢被害防止のために導入されたのは周知のことですが、男性専用車両に関しては痴漢冤罪対策のためだというのです。僕は痴漢冤罪がどれくらいあるのか詳細を知りません。昨今、痴漢事件で冤罪だったと無罪判決があったニュースは知っています。被害者と言われていた女性の供述に信憑性が無いことを判決では述べていましたが、このようなでっち上げの痴漢冤罪事件が頻発しているならば男性専用車両の導入は可能性としてはあるかなと感じます。

こうした背景には一向に無くならない痴漢行為があるのは言うまでもありません。世の中には一種の病気のような人がいて、痴漢が常習になっているような人もいるのは事実です。女性がこのような痴漢常習者に悩まされることは本当に心が痛い。自らの身を守る意味での女性専用車両というのは僕も理解ができるのです。

ただ、世の中にはいろいろと考える輩がいるようで、一向に減らない痴漢行為を逆手に取っ手何もしていないのに痴漢に仕立て上げられるケースがあるのも事実のようです。こうした痴漢冤罪防止のために男性専用車両を導入する必要があるという主張。 こうした男性専用車両を導入せざるをえない状況に、正直言って僕は違和感を覚えます。そこまでして、男女を隔離するような専用車両を作らないと、男女は信用できないのだろうか?そこまでするのは行き過ぎではないだろうか?ここまで世の中は殺伐としているのかと思わざるをえないのです。

世の中なるべく性差別を無くそうというジェンダーフリーの考えは、いろいろと議論が分かれるところではありますが、徐々に少しずつ世の中に浸透しつつあるように思います。その一方、公共輸送機関の一つである鉄道にはそれぞれの性専用車両を設ける。いくら痴漢冤罪対策のためだとはいえ、男性専用車両が設けられれば、話はこれだけに留まらないような気がしてならないのです。別の意味での性差別問題が起こるきっかけになりはしないだろうか?そんな危惧を覚えるのです。

僕の危惧は杞憂なのかもしれません。杞憂であって欲しいとは思いますが、鉄道という公共機関でそれぞれの性専用車両が設けられれば、性差別が無くなる世の中の実現というのは、更に遠のくかもしれないと感じた、歯医者そうさんでした。

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2009年6月15日 (月)

三沢光晴の死

先日、自室の部屋を整理したのですが、その際、大量に処分したものがありました。それはプロレス関係の雑誌。週刊プロレス、週刊ファイト、週刊ゴング等々。学生時代、毎週のように買っていたプロレス雑誌でした。処分する前、パラパラとこれら雑誌をめくりながらふと学生時代のことを思い出しました。

学生時代、僕はプロレスにのめり込んでいた時期がありました。プロレスにのめり込むといっても自分でプロレスをするわけではありません。そもそも、僕はひ弱で痛い事をすることが嫌いですから。プロレスを見ることに熱中していたのです。僕の学生時代、テレビではプロレス中継がありました。今では信じられませんが、テレビのゴールデンタイムと呼ばれる時間帯にプロレスの試合の生中継があったくらいです。テレビの娯楽の一つとしてプロレスが存在していたのです。当時、プロレスの団体は主に、アントニオ猪木が社長を務めていた新日本プロレスとジャイアント馬場が代表をしていた全日本プロレスがあり、お互いがテレビ中継をしていました。この二つの会社、犬猿の中のようなところがありまして、お互いに交流することはなく、むしろお互いの人気選手を引き抜くようなところがあったぐらいです。お互いが非常に意識をしながら、単独でプロレス興行をしていたのです。

そのような中、新日本プロレスがジュニアヘビー級というジャンルを開拓し、ある人気レスラーを輩出しました。タイガーマスクです。以前から人気のあった漫画の主人公をそのままレスラーにしたてあげたのですが、ヘビー級とは違う身の軽さを利用していろいろな空中技を駆使し、人気を博しました。初代タイガーマスクの誕生です。初代タイガーマスクの正体は佐山サトルというレスラーで、今佐山サトルはプロレスから離れ、総合格闘技の道を歩んでおります。

これを見た、全日本プロレスは初代タイガーマスクが姿を消すやいなやタイガーマスクを登場させました。明らかに新日本プロレスを意識したジャイアント馬場の意向で、全日本プロレスの若手でジュニアヘビー級クラスの選手を二代目タイガーマスクに仕立てたのです。この二代目タイガーマスクが三沢光晴でした。

その後、二代目タイガーマスクとして活躍した三沢光晴はヘビー級に転向する直前にマスクを脱ぎ、本名でプロレス界で活躍することになります。ジャイアント馬場が亡くなってからは、諸事情により全日本プロレスから退団、新団体プロレスリング・ノアを結成、社長として団体を経営しながら選手としてもリングに上がり続けていました。

もともと三沢光晴は非常にタフなレスラーで数十分にわたる試合が連日続いても平然とした態度で試合に活躍していました。相手の技も受けながら、試合を作り、最後は観客を盛り上げ、勝利するという試合パターンは多くのプロレスファンを魅了していました。僕もそんなファンの一人だったのです。

そんな三沢光晴が突然鬼籍に入るとは思いも寄りませんでした。あるタッグマッチの試合中、相手選手から受けたバックドロップが後頭部を直撃。直後意識を失い、帰らぬ人となったのです。

三沢光晴は受身が非常に上手いレスラーでした。それ故、相手の技を受けながらも長時間の試合をこなすことができたのだと思いますが、そんな三沢光晴も47歳を迎えようとしていました。既にプロレスラーとしては体力の頂点は過ぎており、正直言ってタフな長時間にわたるプロレスの試合はしんどい年齢だったはずです。何でも今回の試合でも精彩を欠いていたそうですが、そんな中で相手選手が仕掛けたバックドロップでまともに後頭部がリング上に直撃してしまったようです。これはアクシデントとしかいいようがありません。

アクシデントとしかいいようがありませんが、それにしても早すぎる三沢光晴の死。実際に何度も三沢光晴の試合を見た僕にとっては、何だか青春の一ページが目の前から突然消えたような気がしてなりません。本当にショックです。

今はただただ三沢光晴の冥福を祈るのみです。合掌

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2009年6月11日 (木)

嫁さんの瞬間声変わり

先日の朝のことでした。仕事へ出かけようと身支度をしていると我が家の電話が鳴りました。側で化粧をしていた嫁さんは僕に言いました。

「そうさん、電話に出てよ。」

仕事の時間が迫っていた僕は電話に出ませんでした。“いい加減にしてほしい”という不機嫌そうな顔をしながら、しびれを切らした嫁さんはかかってきた電話の受話器を上げたのです。電話に出た瞬間

「○○さん、いつもお世話になっております・・・・。」

この日記がテキストなのでこの会話の状態が再現できないのが極めて残念なのですが、嫁さんの声のトーンは、一瞬にして明らかに、劇的に変わりました。電話の直前までの不機嫌そうな低い声から電話では如何にもさわやかな、余所行きの声に変わったのです。その声の変わりようといったら・・・。

少年の場合、中学生の頃に声変わりがあります。それまでの幼い声から低いトーンの声になり、一気に大人になる変化の一つとなるのですが、嫁さんの場合も見事なくらいの声変わり。少年の場合、徐々に声色は低いトーンになりますが、嫁さんの場合、声色は高いトーンへ。しかも、一瞬にして変わるという速さ。直前の僕と話をしていたあの声は一体何処に行ったの?と言いたいばかりの身の変わりの速さに今更ながら開いた口が開かなかった歯医者そうさん。

電話終了後、嫁さんのそのことを指摘すると

「これは条件反射ってやつよね。身内以外の方には地声は出せないわ、ハッハッハ・・・。」

皆さんのお宅でも、瞬間声変わりの方はいらっしゃるでしょうか?

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2009年5月27日 (水)

忘れてはいけない歯医者のニオイ

人は誰でも嗅覚を持っています。人の嗅覚は様々な匂い、香りを嗅ぎ分けるものですが、これら匂い、香りは普段生活している場所とは異なる場所を訪問したり、移動したりする際、特に感じます。中でも生活臭や独特の材料や食品を扱っている場所などを訪問する時には、誰しも普段感じないニオイを感じることでしょう。

僕の場合、幼少の頃、近所に牛舎がありしばしば遊びに行ったことがあったのですが、牛舎のニオイは牛糞が混じっていたニオイでした。今から思い出してもあまり感心できるようなニオイではありませんが、たまに牛舎を訪ねると幼少の思い出が蘇ってきます。

更に、幼少の頃住んでいた場所の近所には大きなお菓子工場がありました。そこの近くに行くと、これも独特のチョコレートのニオイがしたものです。おそらく、工場のチョコレート生産過程で外部に排出されたガスの中に含まれていたのでしょうが、濃密なチョコレートのニオイは、幼少の僕にとって決して嫌なニオイではありませんでした。

当時、近所には畳屋があったのですが、畳のニオイは好きでした。家の中の畳は表が黄色くなり何も臭わなかったのですが、畳屋の畳はいつもグリーンの畳表が見えると同時に濃厚ない草のニオイが香ってきたものです。

ニオイには単に嗅覚だけでなく様々な思い出がくっついているものですが、病院のニオイに関しては誰しも独特のニオイとして認知しているのではないでしょうか?中でも歯医者のニオイは、他の医療機関には無いニオイを感じるはずです。

歯医者では様々な消毒薬や材料を使用しています。また、口の中を治療するわけですから患者さんの口から飛び散った切削粉や目に見えない雑菌もあります。これらが混合したのが歯医者のニオイというわけです。

この歯医者のニオイ、現在の僕は全く感じません。現在の僕ということは幼少の頃はそうではなかったということです。歯医者である親父は自宅開業でしたが、自宅の隣にあった歯科医院を覗きに行くと、ドアを開けた途端、歯医者のニオイを感じたものです。

某歯科大学在籍中、僕の友人が遊びに来たことがあったのですが、初めてうちの歯科医院を訪れた際、開口一番

「歯医者のニオイがする!」

といったものです。実は、僕がこの友人のお父さんの歯科医院を初めて訪れた時も全く同じことを感じたのです。こいつの家も歯医者だったんだということを。

そんな歯医者のニオイですが、歯医者をして20年近くになるとこのニオイが完全に日常化してしまいました。人間は常に接しているニオイには嗅覚が順応してしまい、ニオイを感じなくなるものですが、僕の場合もそうで、本来診療室に満ちている歯医者のニオイが感知しなくなっています。それだけ歯医者の生活にどっぷりつかっている僕ではあるのですが、時々そんなことでいいのかな?と感じることがあります。なぜなら、患者さんは自分たちの生活の非日常の一つとして歯医者を訪れます。その際、必ず歯医者のニオイを感じているはず。ところが実際に歯の治療を行う歯医者はそれを忘れてしまっている。

たかだかニオイなのかもしれませんが、ニオイが人の体調や精神状態を左右することがあるのは事実です。患者さんの立場を考えるなら、初心を忘れてはいけない意味で、歯医者のニオイというものもあるのだということを常に思い出さなくてはならないのではないか?そんなことをふと感じた今日この頃です。

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2009年5月22日 (金)

裁判員制度が始まりましたね

昨日始まった裁判員制度。既にご存知の方も多いとは思いますが、起訴された刑事事件の裁判に一般市民が参加する制度です。裁判員制度に関しては賛否両論ありましたが、既に制度化され、一般市民への周知、PRがなされてきたようです。裁判員に選ばれた一般市民は正当な理由が無い限り拒否することができず、裁判に参加し、審議に加わらないといけません。

正直言って、僕も裁判員制度についてはあまり気持ちよく思いません。法律の知識も無い僕が人様を裁くことができるのかどうか、そんな資格があるのかどうか未だに結論が出ないからです。

また、普段の仕事の時間を一部削って裁判に参加しないといけないことも悩みます。僕のような歯医者も診療があるからといって裁判員を拒否することはできません。裁判員に指名されたなら、参加せざるをえない。そうなると、診療時間を削ることになるわけですが、患者さんに迷惑をかけることになりますが、自分の歯科医院の経営にも影響が出てきます。出切る事なら裁判員に指名されたくないのが本音です。

その一方で、僕は裁判員の仕事にはある種の期待感もあります。僕自身、これまで裁判を受けたこともありませんし、傍聴したこともありません。裁判についてはマスコミを通じて知るだけで、一体どのような審議が行われているかどうかの実体験がありません。

裁判員に指名されれば、単に裁判を傍聴するレベルではありません。実際に裁判の審議に加わることになります。人を裁くことに関しては大変な抵抗感がありますが、刑事事件がどのように起こったのか?マスコミを通じない情報を得て考える初めての機会となるはずです。身を持って裁判制度を体験し、責任を持つ。これは僕の人生にとって得がたい、貴重な経験となるのではないかと思います。

また、僕が知っている社会は極めて限定的です。僕の家庭と住んでいる地域、歯医者業界、家族の交友範囲、インターネットぐらいでしょう。刑事事件の対象となっているような社会は普段接することがありません。刑事事件に参加することは、自分が如何に狭い世界に生きているかを知ることになるのではないかと考えています。広く社会を知ることは絶好の社会勉強の機会になると信じています。

どんな新しい制度も実際に機能してくればいろいろと欠点が見えてくるもの。おそらく裁判員制度もいろいろな問題点が浮かび上がり議論の対象となるのは間違いありません。ただ、別世界のことだと思っていた裁判が身近なものであることを実感することは、誰にとっても決してマイナスではないと信じたいです。実際に裁判員に指名されれば、そんな余裕は無いのかもしれませんが、僕は同じ指名されるなら少しでも前向きに取り向かないと意味がないと考えています。

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2009年5月19日 (火)

マッキントッシュパソコン廃棄

今から16年前、僕は某大学の大学院に在籍しておりました。今と違い、ずっと大学の研究室で仕事をしていたのですが、その際、購入したパソコンの一つがマッキントッシュのパソコンでした。当時、98と呼ばれるNECのパソコンが主流を占める中、非常に使い勝手が良いということで大学の研究者の中で大変人気があったのがマッキントッシュでした。当時、僕の大学院の先輩が使用していたのですが、その便利さに僕は直ちにマッキントッシュのパソコンを購入することを決めたくらいでした。そして、初めて購入したのがパワーブック145B。トラックボールがついたノートブック型パソコンで画面は白黒だったのですが、研究室でも自宅でも使用できる便利さが重宝しました。

その後、マッキントッシュパソコンは僕の事務作業ツールの一つとなりました。LC630、パフォーマ5430、そして、モニターが付いたiMac。僕はずっとマックユーザーだったのです。

ところが、時代はウィンドウズ全盛時代。ウィンドウズ95の登場とインターネットの普及からウィンドウズパソコンが主流となりました。僕の仕事においても仕事相手がほとんどウィンドウズパソコンを使用することから僕もウィンドウズパソコンを使用することにならざるをえませんでした。歯医者さんの一服もウィンドウズパソコンを使用してサイトを開設し、日記をアップし続けてきました。今では完全なウィンドウズパソコンユーザー。

それでは、以前に使用していたマッキントッシュパソコンはどうしていたかといいますと、ずっと自室に放置しておりました。データは全てバックアップを取っていますが、今となっては使用することはなく埃まみれなっていたわけです。

ただ、いつまでも放置しておくと自室が狭くなり仕方がない。僕は一念発起し、マッキントッシュパソコンを廃棄することにしました。

最近のパソコンの廃棄に関しては、パソコンメーカーが回収する義務があります。資源有効利用促進法という法律で決められているそうなのですが、ただ昔のパソコンに関しては有料で回収するとのこと。僕が使用していたマッキントッシュパソコンはいずれも無料回収の対象ではなく、合計で15000円程度の有料回収になるということなのです。

思わぬ出費ではありますが、いつまでも放置しておくわけにもいかず、多少の負担は仕方ないと割り切り、廃棄することにしました。

現在、手続きをして廃棄処理を行っている最中ですが、いざ手放すとなると寂しい気持もあります。僕の青春時代に使用したマッキントッシュパソコンが一気に僕の目の前から姿を消すのですから。ハードディスクのデータ消去や破壊処理をしながらも、少しばかり思い出に浸りながら廃棄マッキントッシュパソコンを梱包していた歯医者そうさんでした。

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2009年5月15日 (金)

説明責任に対する違和感

最近、マスコミを賑わせている言葉の一つに“説明責任”という言葉があります。具体例では、民主党の小沢一郎元代表の秘書が政治資金規正法違反で逮捕されたから頻繁にあちこちで使われています。小沢元代表は、記者会見で秘書の逮捕について自らの思い、考えを述べていましたが、その発言に対し、与党、野党の政治家やマスコミ、有権者の多くに“説明責任”を果たしていないとの批判が集まっていました。先日、小沢元代表が代表を辞任した際にも、“説明責任”が不充分のまま辞任したとの批判が集まっていました。

この“説明責任”に対し、ひねくれた僕は何とも言えない違和感を覚えます。

この違和感は一体何か?“説明責任”とは、相手が行った言動、行動に対し、何か不審な点、疑惑を持たれることがあった際、説明を求める時に用いられる言葉ではあります。言葉足らずで相手の誤解や理解を充分に与えていない場合、更なる説明が求められることは僕も充分に理解できます。

ただ、“説明責任”を連発されると、露骨に相手を信用していないことを表明しているようなものです。“説明責任”を言っているうちに、言葉の意味が本来の意味から断罪、謝罪を求める意味に変わってきているように思えてならないのです。単に相手に充分な説明を求めているのに、使っているうちに感情的になってくる変化に僕は怖さを感じます。

最近、冤罪事件が取沙汰されていることも多いのですが、もし、ある人が何らかの罪に対する疑惑を持たれた場合、その人が無実であればどうでしょう?自らが無実であることを訴えても、周囲は“説明責任”を求め続けるのでしょうか?もし、その人の無実が証明された場合、“説明責任”を求め続けた人はどのように“説明責任”を果たすのでしょう?

僕は“説明責任”連発する現在の風潮をウォッチしていきたいと思います。果たして、“説明責任”を大きな声で唱えている人が本当に自らの言動に対し、“説明責任”を果たすことが出来るのか注目していきたいです。少なくとも、僕は軽々しく“説明責任”を果たすなんて言いたくない、言おうとしても言えないと肝に銘じています。

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2009年5月12日 (火)

反省、僕は勉強していませんでした

何とか体調が元に戻ろうとしていた先週末、僕は思い切って自室の整理整頓を行いました。日頃放置しっぱなしにしている自室。少しでも整理しておかないと思いながらも普段は時間が無いということを言い訳に長期にわたり何も整理しませんでした。

さすがにこれではダメだと思い、整理したのですが、いざ整理をしようとするとなかなか全て整理することができません。古い書籍や資料などは思い切って全て捨ててしまえばいいのでしょうが、中には思い出の品があったり今後とも使用する可能性がある文献があったりし、遅々として整理が進まないのです。日頃の怠慢のせいだといえ、まだ整理しきれずに今週末にも整理をすることになってしまいました。

さて、本棚の整理をしていると、僕が某歯科大学学生時代に使用した教科書、ノート類が出てきました。今から20年以上前の教科書。内容は古いものが多いのですが、青春の思い出の一ページということでちょくちょく中身を見て行きました。そんなことをするから遅々として整理が進まないと突っ込まれればそこまでなのですが・・・。

あるノートめくっていた時、僕は思わず驚きました。そこには入れ歯に関する重要な決まりごとが書いてありました。この決まりごと、僕は知っていましたが、実際に知ったのは数年前だと思い込んでいました。あるセミナーに参加した際、某講師の先生が説明していた報告の中にこの決まりごとがあり、目から鱗が落ちるような気分でメモを取りました。この決まりごとを知ったおかげで、普段の仕事に何かと役に立つ結果となったのですが、この決まりごとが実際は学生時代の講義で触れられていたことがわかったのです。僕の自筆で過去に筆記していた講義録にきちんと書いてあったのです。

自分が数年前に初めて知ったと思っていた決まりごとが実は学生時代に講義で習っていた。そのことを完璧に忘れていたのです。実にいい加減に講義を聞いていたかを証明するようなものです。どうしてこのような大切な決まりごとを学生時代に覚えておかなかったのだろう。もし、覚えておけばその後の歯医者としてもっと優れた治療ができていたかもしれないのに。

思い起こせば、学生時代は真剣に講義を聞いていなかったように思います。自分ではそれなりに聞いていたつもりだった講義ですが、実際は“こんなこと覚えていても仕方がない”、とか“いつでも覚えることができる”、“こんなこと当たり前じゃないか”と思ったりしていました。随分となめた態度で講義を受講していた自分が恥ずかしくてなりません。

今は後輩の学生を講義する立場となり、余計にこれまで自分が学んできたことの大切さを痛切に感じます。学生時代、山のような内容の講義を全て身につけることは無理だったかもしれませんが、それにしても講義で触れていた、非常に大切なことまで知らなかったとは言い訳にもなりません。自分の過去の不勉強さを今更ながら後悔した、歯医者そうさんでした。

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2009年5月 8日 (金)

人が変わるのは難しいなあ

先々週、僕はある会合に参加したのですが、その会合の冒頭にある方がこのようなことを言われていました。

『人が変わるには3つのことを考えればよい。時間配分を変えることと付き合う人を変えること、そして、住む場所変えることである。』

聞いていて確かにそうかもしれないと感じました。

人は自分の時間配分というものを知らず知らず持っています。何か物事をするにしてもゆっくりとしないと気が済まない人、絶えず動かないと落ち着かない人がいるもの。おそらく人は育ってきた環境、教育、経験、そして遺伝などにより自ずと自分にとって心地よい時間配分を持っているのだろうと思います。他人から時間配分のことを指摘されると、非常にうっとおしく感じる人は少なくないはずです。

付き合う人を変えるというのも頷けます。

類は友を呼ぶと言います。自分の周囲の人を見てみれば、やはり自分に相当する人と相対していることがわかるような気がします。自分で意識していなくても、自分と付き合っている人は自分と肌が合う、価値観が同じ人と付き合っているのは不思議な感がします。

また、仕事をしていると自ずと同じ業界の人と付き合わざるをえません。業界には業界の雰囲気というものがあります。業界を知らない人から見れば中に入り込めない独特の雰囲気ってあるものです。朱に交われば赤くなるではありませんが、業界の中で働いていると、自ずと業界の色に染まることってあると思うのです。

そういった付き合う人を変えるということは、大変大きな変化であり、これまで歩んできた人生を新たな局面に向かい入れるチャレンジの一種とも言えるでしょう。

住む場所を変える。これは実に大きな変化でしょう。僕も引越しを2度経験しましたのでよくわかりますが、引越しによって日常生活は一変します。自分が住み慣れていた場所を離れれば、近所の人も変わります。その地方の習慣、風習、気候も異なるでしょう。自ずと自分を変えざるをえない状況に追い込まれるはず。

これらに共通していることは、人って変わるのは難しいことなのだなあということです。時間配分も付き合っている人も住む場所も変わるにはそれ相当のエネルギーが必要だからです。

例えば、仕事の都合で転勤、移動、引越しをせざるをえない場合、自分の好き嫌いに関係なく住む場所が変わるわけですが、これなどはその人の人生に相当のエネルギーが必要ですし、ストレスを与えていることは確かだと思います。ストレスをストレスと感じるか感じないかは人それぞれでしょうが、長い人生を振り返れば、引越しによって生活が一変するのは確かなことです。生活が変われば人が変わらざるをえないものでしょう。

僕自身のことを考えると、自分が変わるということは・・・。今のところ、非常に困難ですね。どうしても自分の居心地の良い、楽な方向で生活をしたいという気持ちが満載なものですから。自分の生活には自分なりのリズムができており、それを変えるのは難しいですねえ。僕の実感です。

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2009年5月 7日 (木)

ママ友の噂話はスルーするのがちょうどいい

久しぶりの日記更新です。ご無沙汰しております。皆さんは今回の連休如何お過ごしだったでしょうか?当方はほとんど家でじっとしておりました。連休前から体調を崩していたからです。連休前にひいた風邪ですが、年のせいか治りが遅く、鼻水が出たり、倦怠感が続いたりしておりました。ほとんど家族サービスらしいことをすることができず、心苦しいところもありましたが、体が資本の四十路男には今回の連休、結構貴重な体調回復期間でありました。

さて、そんな連休に我が家には来客がありました。従妹が我が家を訪れ、お茶をしていったのですが、従妹の悩み話を聞いてしまいました。その悩みとはママ友との付き合い。

現在、従妹は二人の子供がいて、上の子供が幼稚園の年中生の女の子。元気に幼稚園に通っているのだそうですが、この子が幼稚園ではやんちゃで教室の中で仕切るくらいの元気さなのだとか。その様子を伝え聞いた従妹のママ友が幼稚園での噂を従妹に言ったといううのです。

「○○ちゃん(従妹の子供の名前)、幼稚園の中では相当な噂があるらしいよ。」

従妹が事の真意を確かめたところ、

「そんなこと私の口から言えない!」

何と陰湿な言葉なのでしょう。従妹はこのママ友の言葉に憤慨すると同時に非常にママ友との付き合いをどのようにすればいいのか、悩んでいるというのです。僕が聞いていても相当な意図があるような受け応えです。明らかに従妹に対して快く思っていないママ友であることは明白。

幼稚園や保育園に通わせるお母さん同士の付き合いにはこの手の悩みが少なくありません。僕自身、過去に某幼稚園のPTA活動に携わっていた経験から言っても、ママ友の付き合いの難しさはよく理解できます。僕は従妹に対し、あることを言いました。

「幼稚園で広まっている噂というのは見事に嘘ばかりだよ。」

驚いた従妹に僕は言葉を続けました。

「かつて、僕はPTAで聞いた幼稚園の噂を全て検証したことがあったの。全部で数十ぐらいあったかな。全部裏を取ったのだけど、ものの見事に全部の噂が真実じゃなかった。その経験から言えることだけども、ママ友は本来の話を読み違えたり、聞き違えたり、理解が間違っていることは日常茶飯事。しかも、その話を勝手に解釈したり、意図的に話の一部を変えたりするのよ。その噂が伝わるといつの間にか噂に尾びれ、背びれが付き、いつの間にかとんでもない話に発展していくの。結果、さも本当の話のように噂が定着していくのよ。ママ友同士の付き合いが良好であればいいんだけど、何らかの感情的なしこりがあれば、さらに噂が変質する。」

「ママ友は、これら噂が本当かどうか信頼できるところから裏を取ることがまず無い。だから僕は噂を全て徹底検証したことがあったんだけど、見事に本当の話からずれていたものばかりだったよ。ということは、ママ友同士で伝わる話は信用できないってこと。もちろん、ママ友同士の話は付き合い上、聞かないといけないだろうとはおもうけど、馬耳東風でいいのよ。スルーしちゃってちょうど良い。そう思えば、ママ友の話は気楽に聞けると思うよ。」

子供が幼稚園に通っている間、付き合うことになるママ友。付き合っているうちにいろいろと嫌な所が見えてきたりするもので、噂話はさらにそんな状況に悪影響を与えるのでしょう。いちいちそんな噂話に付き合っていると精神的にこたえます。従妹には付かず離れず程度のママ友付き合いで、何とか子供と一緒に幼稚園での生活を過ごしていって欲しいものです。

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2009年5月 1日 (金)

息苦しい・・・

風邪が治りきらず四苦八苦の歯医者そうさんです。体の倦怠感は落ち着いたのですが、昨日は鼻と咽喉がつらかったです。

鼻に関しては粘膜が痛いなあと思いながらマスクを装着し、診療をしておりました。マスク装着後、鼻の粘膜が落ち着いてきたかなあと思いきや、今度は鼻水が止まりません。患者さんの治療が終わる度にティッシュで鼻をかむことを繰り返しておりました。ただ、診療中はさすがに鼻をかむことはできません。マスクの下では鼻水が出てくるは、鼻から息ができず、口で息をしていたのですが、途中で息苦しくなる始末。おかげで見事な鼻声となり、スタッフや患者さんからは

「先生、風邪をひかれたのですか?」

と、言われておりました。

せめて患者さんやスタッフには風邪をうつさないよう、診療の合間にうがいもしておりました。

何とか早く風邪を治さないといけませんね。今週の診療も今日と明日の2日。何とか乗り切りたいものです。

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2009年4月30日 (木)

只今体調不良中

今日は4月30日。卯月も今日が終わりで明日から5月、皐月です。いつものことではあるのですが、あっという間にこの1ヶ月が過ぎていったような気がしてなりません。

個人的には、4月は非常に多忙でした。多忙だけならいいのですが、診療以外にいくつもの新しい仕事をしなければならなくなりました。まずは新しい仕事に慣れることに必死で、しかも、毎日のように診療を終えてから外出する始末。

おまけに今週始めからは風邪を引いてしまい、咽喉や体の節々が痛く、昨日の昭和の日は一日寝ておりました。今の時点でも体調はやや改善しているものの、やや倦怠感が残っています。今週一杯は体調を整えながらの診療となりそうです。今更ながら体が資本であることを痛感しているのですが、そうも言っておれないのが悲しいところ。

ということで、今日の日記はなかなかいつものように書けません。体力的、精神的余裕に乏しい今日はこれで勘弁して下さい。

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2009年4月27日 (月)

いつも家庭の自慢をするお母さん

この4月よりは僕はチビたちが通う小学校のPTAの役員を務めることになりました。PTAに関しては3年前に幼稚園でも役員をしたことがあったので今回は2回目です。別にPTA活動が好きなわけではありませんが、PTAの役員をお願いされたのがチビたちが世話になっている小学校の校長だったことから引き受けました。僕自身、決して暇ではない立場なのですが、1年間の任期ということで引き受けました。

先日、このPTAの初めての会合が小学校で行われました。集まったのは今期のPTA役員ばかり。男女の割合は2割が男性であるお父さん、残りが女性であるお母さんでした。僕が座った席には2人のお母さんで、初めて顔を合わせる人ばかり。一通りの自己紹介をしながら雑談をしていたのですが、その際、お母さんの一人の話には、正直言って閉口しました。会話をしているうちに常に自分の家庭の話に持ち込もうとされるからです。

会話をするということはどちらかが話し手でどちらかが聞き手になります。そうしないと会話が成り立たないからです。ただし、話し手と聞き手の立場が公平になるかと言われればそうではないことが多いのが実情ではないでしょうか。意識しないと話し手と聞き手の役割が偏ってしまう傾向にあります。親しい間柄であれば話し手と聞き手の役割分担が偏っていても問題ないかもしれませんが、全くお互いを知らない間にこの割合が偏ると、かなりストレスになる可能性があります。少なくとも僕はストレスに感じます。

誰でも自分の家庭の話、自慢話をしたい気持ちはわからないではありません。他人に知らせることで自分の気持ちを満足させたいことってあると思います。我が家でもそうです。自分の家庭で起こったこと、チビたちのことをいろいろと話しますが、中には“この話を他の人に聞かせたら気持ちよく思わないだろうなあ”という自慢話が多々あります。自分たち家庭の気持ち良い話は、決して他人にとって気持ち良くないもの。自分たち家庭の不幸な話やトラブルの場合であればそうではないはずです。ところが、美談に関しては決して快く受け取られないのが人の世の常。このことを自覚しておかないと、他人との良好な関係を築くことは困難ではないでしょうか。

他人との会話の中では時には自慢話を入れるのはいいかもしれませんが、いつも自慢話や自分の家庭の話をされると、聞き手としては気持ちよく受け取れなくなる。僕は他人との会話の際には常にこのことを自覚しますし、この“歯医者さんの一服”日記でも極力自慢話は避けているつもりです。

この自分の家庭話を持ち出し、自慢されるお母さんとはPTAの中で同じ仕事をすることになりました。1ヶ月に1度はお会いして話をしなければならないかと思うと今から憂鬱な気分一杯なのですが、世の中のママ友と呼ばれる人たちの悩みの一つが経験できるかもしれないと、前向きに捉えるしかないかもしれません。聞き上手というのは本当に難しいものだと改めて感じます。

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2009年4月24日 (金)

似非社会的弱者と応援する議員

社会には何らかの理由で働くことができず収入を得ることができない人がいます。アメリカのサブプライムローン問題からの世界的な不況は100年に1度の不況と言われるくらいの深刻さで、日本においても昨年から各企業が派遣労働者が突然契約を打ち切られたり、リストラが行われたりしています。そのため、明日からの収入が途絶え、路頭に迷う人が後を絶ちません。社会的弱者と呼ばれる人が急激に増えているのが現状です。

そうした社会的弱者を何とか支えようと国が行っているセーフティネットの一つが生活保護です。ある一定の基準以下であれば地方自治体を通じ生活費を支給する制度のことで、皆さんもご存知のことでしょう。日本国憲法第25条に謳われている生活権の保護を具体化するものとして、社会には無くてはならない制度の一つだと思います。

ところが、実際には生活保護が適正に行われているかと言われれば、疑問に感じることが多いのも正直なところです。北九州市のように生活保護を受けるための条件が厳しく、本来生活保護を受けなければならない人が受けられないことがあります。

その一方、どうして生活保護を受けているのかわからないような人がいるのも事実です。先日、地元歯科医師会の先輩の先生とこの生活保護について話をしていたのですが、ある先輩の先生が言うには、地元市で生活保護の支給を受けている人の半数以上が堅気では無い人たちだというのです。昼間から酒に入り浸り、月末になれば“給料をもらいに行く”と言って地元市の市役所へ足を運ぶ輩。生活保護費をギャンブルに使い、金が無くなれば恐喝を繰り返す輩。生活保護費を受け取るために偽装離婚をし、生活苦を装っている輩、等々枚挙にいとまが無いくらい、生活保護に寄生している輩が如何に多いかを言われていました。

「まさしく似非社会的弱者だよ。」

更に深刻なのはこれら似非社会的弱者を支援している議員がいることだとか。某左翼系議員なのだそうですが、この左翼系議員は社会的弱者の無い世の中を作ることを公約にし当選している議員で、実際に議員活動の一環として社会的弱者の相談窓口となり、地元市と折衝を繰り返しているそうです。

このことを書くと非常に崇高な志を持ちながら社会的弱者を支えているように見えますが、実際はこの議員を頼りに、本来生活保護を受ける資格があるようには思えない輩が巣食っているのだそうです。

財政に苦しむ地元市でもこうした事実はつかんでおり、この議員との折衝は常に厳しいものになっているのだそうですが、

“君たちは抵抗勢力である”ということを常にちらつかせながらの話になるのだとか。そうなると、断わる話も断われないのだそうです。

地元市の担当者の対応も非常にまずいとは思いますが、社会的弱者を装っている似非社会的弱者を支援する議員には更に大きな責任があるのではないかと思います。如何にも社会的貢献をしているように見えますが、実際にしていることは市民から集めた公金を働きもしない輩に配っているだけです。本当に必要とする人に公金を支給することは社会としての義務であり責任だとは思いますが、この制度を悪用して平気で公金を受け取り、遊興費につぎ込む輩。そして、これら輩を支援する議員の存在は如何なものかと思わざるをえません。

社会的弱者と似非社会的弱者。この問題の根は深く、日本全国どこでも大きな問題となりつつあるはずです。

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2009年4月16日 (木)

占い師タクシードライバー

昨年も書いたことですが、僕は診療の合間に某専門学校の非常勤講師を務めています。1年中講義をしているわけではないのですが、今年も4月からしばらくの間、講義を行うことになっています。

今回の一連の講義はカリキュラムの大幅変更の影響で講義時間がこれまでの倍になりました。そのため、今までと全く同じ内容の講義をするというわけにもいかず、準備にはこれまで以上に時間をかけていました。こんなことを書くと本職の先生に叱られそうですが、実際に講義をするよりも準備の方が大変だと思います。いくつもの専門書や教科書を見ながら準備を整え、講義に臨むのですが、いつも講義が始まるまでは不安でなりません。果たして今回の講義はうまく運ぶのだろうか?

昨日、この講義の第1回目がありました。結果としては、無難にできたのではないかと思います。学生の反応や出来具合を肌で感じながら若干の軌道修正をしないといけないようですが、基本は変えずに講義を進めていこうと感じた次第。

講義が終わった後、僕は某所へ出かける用事がありました。地元歯科医師会関係の公用だったのですが、講義の終了時間と公用の約束時間との間にほとんど時間がありませんでした。通常なら、電車で移動するところ、この日だけはタクシーで移動をすることにしました。多少の金額はかかりますが、時間を考えると背に腹は変えられず、流しのタクシーに飛び乗ったのです。

タクシーに乗り込み行く先を告げて間も無くのことでした。タクシーの運転手が僕に問いかけてきます。

「お客さんの名前は何ていうのですか?名字ではなくて名前の方です。」

「どういうことですか?」

「実は私はタクシーの運転以外に占いをやっているものですから。他意はないんですよ。よろしかったらどうですか?」

ということで、僕の名前を伝えると

「お客さんは呼吸器の病気に気をつければ、長生きできるくちですよ。」

「へぇ~。何となく当たっているような感じだなあ。」

「奥さんの名前はどうですか?」

「○○ですよ。」

「この方は上の方に対しては地道に支えますし、いざ自分が前面にでなければいけない時には現場を仕切ってうまく立ち回ることができる方ですよ。いい名前ですね。」

「家内に言ったら満面しきりのはずですよ。」

「お父様の名前は何て言われますか?」

「親父は△△です。」

「この方は親に縁が薄い方でしたね。それから、若い頃は健康だけれども年を取ってから血圧が高くなるから注意しないといけないですね。」

「それは当たっていますよ。親父は5人兄弟の末っ子だったのですけど、両親が共働きだったことと末っ子だったことから親があまりかばってくれなかったと言っておりました。それから、親父は数年前血圧が高くて死に掛けたことがあったのですよ。今は降圧剤を飲んで血圧をコントロールしています。」

それ以外に、子供二人の名前やお袋の名前を言ってみると、まるで子供やお袋をいつも見ているかのように性格がピタリと当たっているじゃありませんか?大したものだと思いながら話をしていると、

「最近終わりましたけど、某テレビ局の番組で『○○○の△△△△ー』という番組がありましたでしょ。あれ、私がネーミングしたんですよ。」

「あの番組って結構人気がありましたよ。かなりの視聴率を取っていたはずですよ。」

「ちょっとしたことが縁で、あの番組のプロデューサーと知り合いになりまして、相談を受けてアドバイスしたんですよ。」

それ以外にも芸能人の名前(本名で占うそうですが)をもとにいろいろと教えてもらいました。下車する際には、紙に印刷した資料までお土産にもらいました。

正直なところ、この手の占い話は自分の当たっているケースを言うもの。実際にどれくらいの確率であたっているかどうかを客観的に話すことはないものです。僕自身、占いで人の人生がわかるとは決して思いませんし、それでは人生がつまらないと思う方。ただ、話のネタに聞いておくといろいろと面白いものですね。

この話、我が家に帰って嫁さんやお袋に話すと、僕の話に食いついてくるわくるわ。目を輝かせながら聞いておりました。

「今度、是非そのタクシーに乗ってみたいものやわ。」

それこそ、そのタクシーの運転手の思う壺だとは思いながらも、女性って占いが好きなんだなあと改めて感じた、歯医者そうさんでした。

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2009年4月15日 (水)

自分のために日記を書く

人間は生まれてから親や周囲の人が話す言葉を聞き、それをマネながら話します。続けているうちに頭の脳神経細胞の発達とともに言葉の意味を覚え、単語を覚える。単語をつなげながら文章を話すようになります。小学校に通うようになれば読み、書きを学びます。読み、書きを学ぶことで外部からの情報収集能力が増し、聞く能力、話す能力は更に高度なものへと進化する。

母国語である日本語の場合、これを特段意識することなく誰もが行っていることですが、母国語以外の言葉を覚える際には、読み、書き、聞き、話すことがそれぞれ連動していることに気づかされる人が多いのではないでしょうか。

僕自身、“歯医者さんの一服“日記を書き続けて間も無く7年になろうとしています。歯医者の戯言として駄文を書き続けているわけですが、最近感じることの一つは、人前で話すことに抵抗感が無くなってきたということです。

これは人前で話す機会が増えてきたことも関係しているとは思うのですが、咄嗟に何かを話さないといけない場合、何となく頭の中にイメージができてそれを話すことができるようになってきていると思うのです。話している内容は大したことはないのですが、それなりに起承転結があることを話すことができているようです。

以前はそんなことはありませんでした。むしろ逆で何を話していいかわからず、思わず沈黙してしまうことがほとんどでした。そんな僕が何とか人まで臆することなく、それなりのことを話すことに抵抗感が無くなってきたことの一つには、“歯医者さんの一服”日記を書き続けているということと関係があるだろうと思うのです。

当初は歯医者のことを一人でも多くの人に知ってもらおうと立ち上げた“歯医者さんの一服”であり、“歯医者さんの一服”日記であったわけですが、書き続けていると自分の話す能力の改善にもつながっているように感じてなりません。日記を書き始めたことは思いもしなかったことではありますが、日記を書くことは他人のためだけで無く自分のためにもなっている。そんなことに気づかされた今日この頃です。

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2009年4月14日 (火)

叱られて覚えることもある

僕が某歯科大学の学生だった頃の話です。全国の大学歯学部、歯科大学では最終学年である6年では実際に患者さんの治療を行う臨床実習という実習があります。僕も今から約20年前に臨床実習を受けたわけですが、何せ人生で初めて患者さんを目の前にする実習です。常に指導をしてくれる指導教官が付いていたとはいえ、いつも緊張していたものです。臨床実習はほぼ1年間ありましたが、徐々に実習を行っていくうちに少しは慣れてくるものです。実習の要領やパターンがわかってくると、自分なりに工夫をしながら限られた実習時間を過ごすことができるもの。臨床実習までに講義や模型実習で習ったことが実際の臨床に繋がることがわかると、何か得した充実した瞬間を味わうことができました。

その一方で慣れは怖いもので自分では気が付かないうちにミスをしたり、失礼なことをしでかしたりすることがあるものです。

ある日のことでした。僕はある患者さんの被せ歯をセットしようとしていました。事前に患者さんの歯を削り歯型を取る。歯型をもとに模型をつくり被せ歯を作っていました。その被せ歯をセットするために、被せ歯を患者さんの歯に付けたりはずしたりしながら適合具合を確認したり、咬み合わせをチェックしていたのです。

事前に作っていた被せ歯は若干高めでした。僕は被せ歯を患者さんの歯からはずし、口の外で削りながら調整していました。その際、僕は何気なく被せ歯に溜まった削りカスを自分の口から息を吐いて取ろうとしたのです。その時でした。僕の背後から非常に厳しい声が聴こえました。

「おい、一体何をしたんや!そんなことをしたら患者さんに失礼だろう!」

僕を指導をしていた指導教官の声でした。僕は最初なぜ怒られているか理解できませんでした。自分がやっていたことは被せ歯を作る技工室ではいつも行っていたことでしたから。それがダメ!だと言われる理由がわからなかったのです。

しかしながら、時間が経つにつれ、僕は指導教官に怒られた意味を徐々に理解しました。それは、僕が行った行為は患者さんに対し大変失礼な行為だったからです。まもなく患者さんの体の一部になる被せ歯を自分の口の息で吐くことは患者さんに唾をかけることと同じであることと同じ。患者さんのいる診療室では絶対に行ってはいけない行為の一つだったからです。

今から思えばこんな常識的なことがどうしてわからなかったのか、自分で自分を笑うしかないのですが、臨床実習中の僕はまだ何もわかっていなかった輩だったのです。そんな僕を厳しく叱ってくれた指導教官。

正直言って、叱られた時は決して気持ちの良いものではありませんでしたが、あの時のお叱りが無ければ今頃どうなっていただろうと思います。叱られているうちが華とはいいますが、叱られることで覚えることもあるものだなあと思い出した今日この頃です。

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2009年4月 8日 (水)

いじめに世代間の違いは無い

パワーハラスメント(パワハラ)に関して労災認定になったとのニュースが流れていました。

厚生労働省は6日、うつ病などの精神疾患や自殺についての労災認定をする際に用いる判断基準を10年ぶりに見直すことを決め、各労働局に通達を出した。パワハラなどが認定できるよう12項目の判断基準が新設された。

 精神疾患による労災認定は、ストレスの強い順に3、2、1の3段階で判断される。強度3で新設されたのは、「ひどい嫌がらせ、いじめ、または暴行を受けた」という項目。これまで明確な基準がなかったパワハラによる精神疾患については、この基準で判断できるようにした。強度2では、企業の人員削減や成果主義の導入が進んできたことから、「複数名で担当していた業務を1人で担当」「達成困難なノルマが課された」といった基準を新たに設けた。

200947  読売新聞)

僕の知人、友人から伝え聞く話でも世間でのセクシャルハラスメント(セクハラ)、パワハラというのは相当酷い、悪質なものが多いようです。人間性や人格を否定されるような言動をされ、生きる自信、価値を失い、命を絶っていく。その人が弱いだけでは済まされない問題が潜んでいるように思えてなりません。

僕自身、高校時代にいじめを受けた経験がありますが、いじめを受け続けていると精神が疲れます。何をするにもやる気がおこらず、学校へ行くのも億劫になる。一日が過ぎるのが長いのです。家に帰ると自分の部屋で閉じこもってしまう。学校が休みである週末が待ち遠しい。いじめを受ける現実から逃避することで自分の精神を落ち着かせようとするのです。これは何一つ根本原因の解決にはつながらない、対症療法みたいなものですが、それでも何とか自分を失わず生きていくために、か弱い自分が見出した癒しの方法でした。

“いじめを受けるのはいじめを受ける奴が弱いからだ。そいつが強くなればいいんだ“と高らかに叫ぶ輩もいましたが、自分で解決しようとも解決することができない人も世の中にはいるんだということをわかっていないんだなあと思ったものです。いじめを受け続けると思考まで鈍化してしまい、何も考えられなくなるものなのです。何の気力もわかずただ呆然と過ごす。その一方、いじめはエスカレートし、精神的な傷は更に深いものとなる。その結末は、うつ病などの精神疾患に陥ったり、最悪の場合自ら死を選んでしまう。

上記のニュースのきっかけとなったパワハラによる自殺を見ると、人事とは思えない切実さを感じざるをえないのです。まるで自分がパワハラを受けているような息苦しさを感じさえするのです。

幸いなことに僕には自分の悩みを打ち明けられる人がみつかり、その人の存在が心の拠り所となり、折れそうな心がなんとか折れず、立ち直ることができましたが、世の中には悩みを打ち明けられず、解決の方法を見出されず、傷つき、最悪の場合死に至ってしまう方が少なくありません。

そんな過去のトラウマがあるものですから、僕はついついセクハラ、パワハラのニュースを見てしまうと過敏に反応してしまう傾向があります。

今も昔も変わらず存在するいじめ。上記のようなニュースを見ていると、いじめというのは子供の世界だけに限らず大人の世界でもある。どんな世代にもいじめがあることであることを今更ながら思い知らされます。

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2009年4月 6日 (月)

飛翔体免疫の無さ

常に健康を維持するためには人間の体の中には非常に大切なシステムがあります。それは免疫。目に見えない細菌やウィルスといった外敵が体に侵入してきた場合に備えて人間の体が備えているシステムのことを指します。感染症や病気の種類によって異なりますが、一度病気に罹ると次からは病気に罹らない、罹ったとしても軽く済むような場合、体の中にはこれら病気に対する備え、免疫が出来ているわけです。

この免疫ですが、様々な細菌やウィルスに対して対応できるようになっているのが特徴です。別の言い方をすれば、何らかの病気に遭遇しないとその病気に対する免疫はできないわけです。よくワクチン接種ということが言われていますが、これは健康な間に細菌やウィルスの少量、もしくは弱毒化したものを体の中に注射し、体内に侵入させることで事前に免疫(人工活動免疫といいます)を作っておくことを指します。いきなり外敵に遭ってから免疫ができる前に事前に免疫を作っておくことで、免疫の効果を高めることが目的ですが、いずれにせよ免疫は外部から侵入してくる細菌、ウィルスといった外敵に遭遇しないと機能しないものです。

話は変わって、先週末からの北朝鮮からの飛翔体騒ぎ。事前に北朝鮮からは人工衛星の打ち上げをすると通告しており、その期間が4月4日から8日の午前10時から午後4時まででした。打ち上げルートも通報されていたわけですが、実際に昨日打ち上げられたのは昨日のことでした。

政府及びマスコミの対応を見て僕が感じたのは、日本の国というのは外国からの軍事的行動に対して免疫がないなあということです。

人工衛星の打ち上げとはいえ、他国の領土をかすめるようなルートを取ることは国際的には非常識なことであることは確かです。しかも、長距離弾道ミサイルと全く同じ構造をもつロケットの打ち上げなら、失敗した場合、日本国内に影響が及ぶことは考えられました。これに対し、政府からの通報システムや自衛隊のミサイル迎撃システムなどが配備されていたわけです。実際のこれら防衛システムの実践運用は国内では例がなかったと思います。そこで、いくつかのトラブル、ミスがあったようです。また、これらトラブル、ミスに対して過剰にマスコミが反応していたように思えてなりません。

僕は、今回の北朝鮮による飛翔体騒ぎは、日本の国が何か外敵に対して免疫ができていないような状態だったのではないかと感じました。それだけ日本の国が過去数十年にわたって平和だったという証でもあるわけですが、何かと動きの大きい時代、日本も決して平和ではないことがわかっただけでもよかったのではないかと思います。

免疫は外敵に遭遇して初めて機能するもの。日本の国も今回の飛翔体騒ぎによって少しでも外国からの軍事的行動に対して冷静に適切に反応できるよう、経験と免疫ができることを期待したいものです。

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2009年4月 1日 (水)

イチロー選手に会うことになりました・・・

イチロー選手に会うことになりました・・・

野球の国別対抗戦であるワールドベースボールクラシック(WBC)が終わって1週間が経ちました。既に結果はご存知のことと思いますが、韓国代表との延長戦の激戦を制した日本代表が優勝、連覇を果たしました。

今回のWBCではある選手のことがマスコミで取り上げられていました。チームリーダーであるイチロー選手のことです。昨年のアメリカ大リーグ終了後からWBCへ向けてのトレーニングをはじめ、準備万端で日本代表チームに参加したはずのイチロー選手でしたが、実際に試合が始まると極度の不振に陥りました。何打席もヒットが出なかったり、打球が上がらずゴロばかり。チャンスに打てず結果として日本代表の足を引っ張る形になってしまいました。イチロー選手自身も“心が折れそうになった”とのコメントを残すなど、自分の成績不振には相当責任を感じていたようでしたが、最後の韓国代表戦では決勝タイムリーを打つなど打撃が復活。最後の最後で結果を決めるヒットを打つあたりは、何かの小説のようなことをしていたのではないかと言われていたくらいです。

話が変わりますが、3月中旬のことでした。一日の診療を終えた我が家に一本の電話が掛かってきました。嫁さんの知人からの電話で嫁さんが電話をしていたのですが、電話の途中、突然僕に声をかけてきました。

「そうさん、○○さんから相談があるから電話に出てくれる?」

僕も面識のあった○○さんでしたが、突然僕に用事があるとは一体何の用だろう?と思いながら電話に出てみると、それはある相談ごとでした。

話を聞いてみると、○○さんの知人が最近顎の関節が痛くなってきたとのこと。この痛みのため肝心の仕事に集中できなくなり、成績が残せず周囲に迷惑をかけている。立場上、薬を飲むことも控えなければならないので何か良い治療法はないものか?そんな相談だったと思います。

詳細な部分を確かめてみると、どうも顎関節症と呼ばれる顎の病気の典型的な症状でしたので、僕は早急にマウスガードと呼ばれるものを作り、口の中に装着することにより噛み合わせを楽にし、顎の負担を取り除くことがいいのではないかとアドバイスしたのです。

後日、○○さんから電話がかかってきました。

「先日、相談にのってもらった件ですけど、非常にうまくいったそうで本人は大変喜び、感謝していると言っていました。時間が許せば、直接お礼が言いたい。ただ、自分は今アメリカにいて秋まで日本に戻ることができない。いつでもいいのでご都合のいい時にアメリカはシアトルへご招待したいとのことです。そうさん、如何でしょうか?」

賢明な読者の方なら何となく想像ついたかもしれませんが、○○さんの知人とは、実はイチロー選手のことだったのです。詳細を書くことはできませんが、○○さんはイチロー選手の師匠の一人のような方で、某地でスポーツジムを経営している人です。彼の編み出した独特のコンディショニング理論があるのですが、イチロー選手はこの理論に傾倒し、日本のプロ野球のみならずアメリカ大リーグでも様々な結果を残してきました。

今回のWBCでも○○さんはイチロー選手のコンディショニングの相談にのっていたようです。どうもイチロー選手は、WBCの合宿が始まってから顎の痛みに悩まされるようになったとのこと。

野球選手はバッティングをする際、必ず歯と歯を噛みしめてバッティングをしますが、顎の痛みがあるとバットを振るたびに歯の噛みしめにより顎に痛みが走るのです。そうなると、集中しなければならない打撃に影響が出ます。今回のWBCではイチロー選手はこれまでにない極度の打撃不振に陥っていたのですが、この背景にはイチロー選手を突然襲った顎の痛みに原因があったようなのです。

当初、イチロー選手は顎の痛みを薬を飲んで治そうとしていたようですが、ドーピングの関係から薬を飲むことも控えなければならない状況にあったのだとか。そこで、以前から師事していた○○さんに相談があったそうですが、歯のことが詳しくない○○さんは直ぐに回答せず、何人かの歯医者に相談にのってもらっていたようです。そのうちの一人が僕だったようで、たまたま僕が言ったアドバイスがイチロー選手の顎の痛みを無くす一助になったとのこと。その時期がちょうどWBCの準決勝戦あたりからだそうで、顎の痛みが気にならなくなったと同時に打撃が復活し、決勝戦では大当たり。最終打席で決勝タイムリーヒットを打ち、一躍時の人となったのです。

今回のことでイチロー選手は非常に恩に感じているとのことで、○○さんを通じ、“是非ともアメリカワシントン州シアトルにあるシアトルマリナーズの本拠地セーフコ・フィールドへ招待したい”とのメッセージが届いたわけです。しかも、試合前には球場のグラウンド内で直接お礼が言いたいとの申し出。一度は見てみたかったアメリカ大リーグですが、アメリカ大リーグでもトップ選手の一人であるイチロー選手直々の招待。

僕は何の取り柄も無い、田舎歯医者ですが、これほど歯医者をやっていてよかったと思ったことはありませんでした。僕はこの数日興奮して夜も眠れません・・・。

追伸、ちなみに今日は4月1日。俗にエイプリルフールと呼ばれていますよね(笑)

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2009年3月31日 (火)

恐るべし呑み屋のママの力

先日、ある集まりで大学時代の先輩何人かと話す機会がありました。いろいろと話をしていたのですが、話題は音楽になりました。僕を含め話をしていたメンバーは全員クラシック音楽が好きでクラシック音楽の話で盛り上がったのです。いろんな作曲家の話や作品の話などをしているうちにコンサートチケットの話になりました。人気のある演奏家のコンサートチケットの入手は難しいということになったのですが、その際、僕は自分が経験した話をしました。それは入手困難であるコンサートチケットの話でした。

僕自身、結婚してからは行く機会が減少したのですが、学生時代はしょっちゅうクラシック音楽のコンサートに足を運んでおりました。

中でも印象に残っているコンサートの一つはあるヨーロッパの有名な指揮者によるコンサート。この指揮者はかつてクラシック音楽の帝王と呼ばれていた指揮者だったのですが、自らが常任指揮者をしているオーケストラと何度も日本に演奏旅行にやってきていたのです。ただ、高齢になるとともにその機会は減少し、おそらく日本への演奏はこれが最後であろう(実際に最後になったのですが)というコンサートツアーがあったのです。

僕はなんとしてもこのコンサートツアーの公演の一つを聴きたいと思ったのですが、人気のある指揮者ですからチケットを入手するのは困難だということはわかっていました。そこで、チケット販売当日、チケットを販売していた音楽事務所の前で徹夜で並び、チケットを入手したのです。その日は2月の厳冬の時期でしたから、徹夜で並んでいると凍傷になるのではないか?と思えるくらい凍える思いで並んだものです。それくらい必死にならないとチケットを入手できないという思いのみで並んだものですが、実際にそうでした。同じコンサートを入手しようとした友人は予約センターに電話を掛け続けたものの電話が繋がらず、電話が繋がった時には既にチケットは売り切れ。如何にチケット入手が困難だったわけです。

ところが、このコンサート終了後数日経って、僕はあることをある友人から聞きました。それはこの友人が僕と同じコンサートに行ったという話でした。僕がチケット入手が難しかったのではないか?と尋ねたところ、この友人曰く

「チケットは簡単に手に入ったよ。」

詳しく話を聞いたところ、この友人のお父さんが会社関係でチケット何枚かが手に入り、その1枚でコンサートを聴くことができたというのです。

僕はその時知りました。まともにチケット販売をして入手難しいコンサートでも実際のコンサートの席には特定の人用にチケットが確保されている事実を。演奏家関係やスポンサー関係でコンサートには必ずといっていいほど、その人達用の座席が確保されているものなのです。それ以外のチケットに関しては一般に売り出されているわけですが、日頃の付き合いなのでしょう、いくら人気がありチケットが売り切れのコンサートでも一定の数の座席だけは座席は確保されているのです。これはどんな音楽のコンサート、演芸、スポーツイベントでも言えることなのだとか。

この話をしていると、ある先輩も同じ経験をしたと言ってくれました。

「最近、文化勲章を受章した指揮者でOがいるだろう?そのOが指揮をするコンサートが毎年N県のM市で行われているよね。」

「あのコンサートって人気があって地元の人でも入手が難しいらしいですね。」

「そうなんだよね。まともに手に入れようとしても難しいという評判だよ。このコンサートなんだけど、私の知人にこの話をしたところ、『チケットを入手できるよ』と言ってくれたんだって。後日、実際にチケットをもらってびっくりしたんだけど、どうしてチケットを入手できたか?尋ねたんだよ。」

「どんなルートだったのですか?」

「知人が行きつけているバーのママがOのファンなんだそうで、Oも時々そのバーに姿を見せにくるんだって。このバーのママがOに直接、M市のコンサートのチケットのことをお願いしたところ、チケットが手に入ったんだよ。それも特等席だよ。周囲をみたらOの嫁さんとか娘、息子が陣取っているような席でね、一人だけ私が浮いているんじゃないかと思われるくらい緊張した席だったなあ。」

僕の話を裏付ける話であったわけですが、それにしてもバーのママの力は大したものです。名の知れた呑み屋さんには有名人が集まり、それなりのネットワークが形成されているものですが、思わぬところでそのネットワークが役立つものですね。

呑み屋のママの力を改めて知りました。恐るべし、呑み屋のママ。

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2009年3月30日 (月)

後輩とGReeeeNの歯科医師国家試験結果

昨日、僕は大学時代に所属していたクラブの卒業生追い出しコンパにOBとして参加してきました。某歯科大学在籍時、学業よりも集中していた時期もあったクラブ活動。僕は大学卒業後も時間が許す限り大学のクラブ関係の催しものには参加してきました。

これまで何度も卒業生追い出しコンパに参加してきたのですが、今回はいつも様子が違っていました。追い出される主賓であるべき卒業生の何人かが欠席していたからです。

これには理由がありました。実は、3月27日歯科医師国家試験の結果発表がありました。ここに結果が出ていますが、今回の卒業生追い出しコンパを欠席していた卒業生は歯科医師国家試験に受からなかったのです。

昨今、歯科医師の過剰が問題となっています。既にコンビニの1.5倍以上あると言われる歯科医院数。都市部の駅周辺をみてみれば、いたる所に歯科医院の看板が目につくはずです。どうしてこのような事態になったのか?これは歯科医師供給過剰状態による影響です。

かつて歯科医師は現在の医師と同様、数が足りず患者さんが満足な治療を受けらず、社会問題化した時代がありました。この事態を重くみた国は全国各地に歯科大学や歯学部付設を認めた時代があったのです。

その結果、歯科医師は急激に増え、歯科医師不足は解消したのですが、歯科医師はその後も増え続け供給過剰状態に陥ったのです。その結果、今では巷に歯医者があふれるような状態となり、歯科医院の数もコンビニをはるかに上回る事態となったのです。

この過剰な歯科医師数の問題を解消するには、現役歯科医師を減らすかこれから歯科医師になろうとする者を制限するか二つしかありません。

現状では現役歯科医師を減らすことは非常に困難です。国は、これから歯科医師になろうとする者を制限するために、歯科医師を養成する全国の大学歯学部、歯科大学に定員数の減らすよう通達したのですが、各大学歯学部、歯科大学は経営のことを考えると減らすことはできませんでした。また、現役の実働歯科医師数を減少させるために免許の更新性や保険医定年制を導入しようともしましたが、歯科界からの反発が強く導入されていません。そこで国が考え出したのが歯科医師国家試験の合格率を下げることでした。

歯科医師国家試験は難易度については資格試験という性格上、一定の難易度よりも上げることもできません。毎年一定レベルの難易度を維持しながら合格者数を管理するとなると、どこで合格ラインを線引きするかということになります。

実際のところ、国はどれくらい点数を取れば歯科医師国家試験に合格するのか、明確な基準は公開されていません。どうも年によって合格ラインを上下させているようなのです。これは他の国家資格試験でもいえることで、数が足りないとされている医師や歯科衛生士の場合、今年の国家試験合格率は90%以上です。ところが、過剰な歯科医師の場合は67.5%。この違いは非常意図的、政策的であると言えるのではないでしょうか。歯科医師国家試験の合格基準を上げ、合格率を下げることにより歯科医師数の抑制をはかっているとみても不思議ではありません。

今回、歯科医師国家試験に受からなかった後輩は非常に真面目な後輩でした。決してデキが悪い後輩ではなかったのですが、そのような後輩さえ受からないくらい歯科医師国家試験。勉強不足といえばそこまでかもしれませんが、どうも国による歯科医師抑制政策の一環としての国家試験合格率減少政策に引っかかったかもしれません。

さて、今回の歯科医師国家試験ではある人も受けていました。それは、GReeeeNのメンバー。GReeeeNは、若者の間で人気の4人組バンド。今年の選抜高校野球の開会式での選手入場の際にも彼らの曲が使われていましたね。ここのニュースによれば、彼らは歯科医師、または某大学歯学部の学生で今回はメンバーのうちの二人が歯科医師国家試験を受験したとのこと。結果は一人が合格、一人が不合格だったとのこと。GReeeeNはメンバー全員が歯科医師になれば自分たちの顔を公表する公約していたのですが、今年はそれができなくなりました。

僕は歯医者の先輩として密かにGReeeeNをウォッチしてきました。いろいろと思うことはあるのですが、一人が歯科医師国家試験に不合格になったことには非常に残念に思います。

歯科医師国家試験は年に1度しかありません。再度歯科医師国家試験を受験するには来年まで待たないといけません。今回の歯科医師国家試験で受からなかった大学時代の後輩、ならびにGReeeeNのメンバーには来年こそは歯医者として春を迎えることを切に願っています。

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2009年3月23日 (月)

時にはおまけも役に立つ

先週、某所へ出かけた際、近くのコンビニでペットボトルのお茶を買おうとしたところ、何かついていました。

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このようなモノだったのですが、特に何も考えず買ってしまいました。

その後、お茶を全て飲み、ペットボトルを専用ゴミ箱へ捨てたのですが、当然のことながら残ったのはおまけ。

Iemoncha21

一体何だろうと思い、封を開けてみると中には巾着が入っておりました。

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大きさは8センチ×14センチ台の巾着だったのですが、実際に何に使おうかと考えると、帯に短し襷に長し。僕が思いつくものが見当たりませんでした。そこで、嫁さんに見せたのですが、嫁さんも直ぐに使えるモノが思い浮かばず、しばらく机の片隅に放置されておりました。

昨日のことでした。親父が某所へ出かけた際、自分の所有していたデジカメを持って行ったのですが、デジカメを透明袋に入れて持っていっておりました。

「いくら何でもこれでは人前で見せられないんじゃない?」

「これでええよ。別に人に見せびらかすわけじゃないし」と言う親父。

それを見ていたお袋は僕と同じ意見で、

「何かデジカメ専用のバッグのようなものはないの?安いものでいいからお父さんに買ってあげてよ。」

「休みの日にでも近くの電化製品店で見てきてあげようか?」と僕が言ったところ、嫁さん曰く

「あれ、使えるんじゃない?」

Iemoncha41

Iemoncha51

賢明な皆さんならおわかりのことでしょう。この巾着の登場となったわけです。実際にデジカメに合うかどうか見てみると、ちょうどいい感じ。見事にデジカメは巾着の中に収まりました。デザインや色の状態も違和感がありません。むしろ、少しおしゃれに見えるくらい。

ということで、ペットボトルのおまけが貴重なデジカメ収納袋と化したわけです。一見すると無駄なようなおまけでも時には役に立つことがあるものですね。

追記、インターネットで調べてみると、かさねいろ豆巾着は結構評判のようです。携帯電話入れに重宝するとのレポートが多数ありました。

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2009年3月19日 (木)

安らかにお眠り下さい?!

「最近の幼稚園の先生って、言葉の使い方を知らんわ!」

先日、うちの家に遊びに来た従妹が立腹しながら言っていた言葉です。一体何事だろう?と思いながら尋ねてみると

「幼稚園の先生と保護者との間でやり取りをする連絡帳があるよね。先日、親子遠足という行事があって私も参加してきたの。天気にも恵まれた子供も楽しそうにしていたんだけど、帰ってから親子遠足のことで幼稚園の先生にご苦労様という意味合いのことを連絡帳に書いたの。翌日、連絡帳が戻ってきて読んでみたらね、『昨日はさぞお疲れになったことだろうと思います。安らかにお眠りになったでしょうか?』って書いてあるのよ。」

「安らかにお眠りになるって?何か言葉の使い方を誤っているんじゃない?」

「そうでしょ。『ゆっくりお休みになりましたか?』というのだったらわかるんだけど、普通『安らかに眠る』というのは、人が亡くなった時につかう表現でしょ。それをまだまだ元気でピンピンしている私のような人に使うってどういうことよ。私はまだ死んでいないって!勝手に殺さないでほしいわ。」

「最近、“おくりびと“という映画が評判になったじゃない。きっとその幼稚園の先生は”おくりびと“に感化されて、思わず書いてしまったんじゃない?」

「自分では丁寧な表現を使ったつもりでしょうけど、それにしても『安らかに眠る』っていうのは失礼よ。本当に最近の幼稚園の先生は言葉ってものを知らないんだから。」

僕自身、自分では当然だと思っていた言葉の使い方を勘違いしていたことは何度もあります。時には周囲の人から指摘され、思わず赤面してしまったこともあるのですが、黙って聞き過ごされ、見過ごされてしまうと、自分のボキャブラリー不足をさらけ出す結果となります。これは実に恥ずかしい。

それにしても、従妹には悪いですが、『安らかに眠る』には大笑いしてしまいました。目の前にいる従妹があまりに元気であったが故、全く正反対の言葉が使われていたことに対して思わず笑いのつぼにはまってしまったせいかもしれません。漫才のネタの一つにでも使えそうです。

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2009年3月18日 (水)

政治の力を借りる

インターネットの世界では映像や音楽の配信は当たり前になってきています。インターネット黎明期には考えられなかったことですが、インターネットのブロードバンド化が進んだことによる恩恵であることは明白です。

ブロードバンド。僕にとってこのブロードバンドというのはまだはるか遠くにある世界です。なぜなら、うちの周囲ではブロードバンドによる通信環境にないからです。正直に書くと、僕のインターネット環境はISDNです。友人、知人は光ファイバーやADSLでインターネットを楽しんでいる中、僕は未だにISDNというナローバンドでしかインターネットをすることができません。それでは、僕の住んでいる市全体のインターネット環境はどうかといいますと、市内の大半の地区はブロードバンドなのです。ところが、市街地にあるうちの周囲はブロードバンドのサービスがありません。近隣の市もほとんどがブロードバンドが普及している中、半ば陸の孤島ならぬ陸のデジタルディバイドであるともいえるでしょう。

このような背景にはブロードバンドを提供する通信会社の思惑があるのは確実です。収益性の多い地区にブロードバンドの設備投資を行い、収益性の見込めない過疎の地域ではブロードバンドのサービスを提供しない。企業の論理からすれば当然のことかもしれませんが、今やインターネットは社会資本一種でもあります。住んでいる地区による差別があってはいけないと思うのですが、僕の住んでいる地区はブロードバンドの時代から取り残されたままです。

メールのやり取りや映像、音楽配信とは関係ないテキスト中心のサイトを見る分には今のインターネット環境でも問題ありません。僕は今のナローバンドでも仕方がないかもしれないと半ば諦め気味だったのですが、そうとも言っていられない状況が出てきました。それは、2年後に始まるレセプトオンライン化です。

レセプトとは、毎月保険組合に請求する診療報酬明細書のことですが、現在では患者さん一人の治療費に対して特定の書式の紙に印字して請求しています。いわゆる紙出しをしているわけですが、厚生労働省ではこの紙出しを止め、全て通信で送付する方法に変更するという通知を出しました。これがレセプトオンライン化なのですが、最近になってレセプトオンライン化に対する詳細がいくつかわかってきました。その一つがインターネット環境なのですが、どうもブロードバンドを前提にしていることがわかってきたのです。ナローバンドでも出来ないことはないそうですが、非常に時間がかかり業務に支障が出る可能性が指摘されているようで、医療機関はブロードバンドサービスを受けることを勧める情報が地元歯科医師会から流れてきました。

現在、ナローバンドしかインターネットが出来ないうちの歯科医院にとっては非常に悩ましい問題です。個人の楽しみとしてのインターネット環境の不備では我慢すればよかったのですが、実際の仕事に支障が出てくればこれは別です。

これまで何度かブロードバンドを提供する通信会社に当たってみてはいたのですが、どの会社もサービスの予定は無い、お客様の要望は受けたとの返事のみ。どうも僕のような一個人が話をしても通信会社の方針を変えることはできません。それではどうしたらいいのか?

インターネットに詳しい友人に相談してみると、最も効果的なのは政治力とのこと。企業が収益性を考えている中、自治体や地域住民の要望が強いことを議員を通じて伝えるとさすがの通信会社も動かざるをえないそうで、歯科医師会に関係している地元議会の議員にお願いした方がいいとアドバイスを受けました。

僕は地元歯科医師会の元上司の先生を思い出しました。この先生はひょんなことから僕が住んでいる地元出身の議員の後援会の会長をしていたのです。僕は早速この先生と会い、事情を話すと、議員に伝えることを約束してくれました。

そして、昨日でした。僕はこの先生と同席で地元出身の議員さんと会うことができました。僕の話を耳に傾けてくれました。この議員は、さすが地元出身だということもあり、地元のインターネット環境について熟知していました。ただ、地元の住民が高齢の人が多いことからなかなかインターネット環境改善に向けての要望が少なく、動きようがなかったとのこと。実際の僕の事情を聞き、前向きに検討し、動くことを約束してくれました。

さあ、このお願いが功を奏するかどうかはわかりません。結果は神のみぞ知るということになりますが、少なくとも2年後には仕事に支障が無いインターネットブロードバンド環境が得られたら有難いものです。

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2009年3月12日 (木)

酒酔い当て逃げ元警視に軽すぎる判決

今日の日記は歯医者がらみの話では全く関係ないのですが、あるニュースを見て思わず感じたことを書いていきたいと思います。

そのニュースとはこれです。

20093111117  読売新聞

酒に酔って車を運転し、当て逃げ事故を起こしたとして道路交通法違反(酒酔い運転、当て逃げ)の罪に問われた元警視庁総務部施設課課長代理(警視)の日高幸二被告(50)の判決が11日、水戸地裁土浦支部であった。

 千松順子裁判官は「警官に対する国民の信頼が著しく損なわれ、社会的影響も看過できない」として、懲役10月、執行猶予3年(求刑・懲役10月)の有罪判決を言い渡した。

 判決によると、日高被告は2008年11月17日午後7時25分頃、キャンプ先で同僚らと酒を飲み、帰宅しようと乗用車を運転。茨城県稲敷市の路上でほかの乗用車と接触事故を起こして逃走した。日高被告は08年11月に懲戒免職処分を受けた。

 日高被告は警視庁で交通畑を歩き、築地署交通課長などを経て、06年3月に東京都へ派遣。都の「飲酒運転させないキャンペーン」の担当者だった。

 日高被告は閉廷後、「国民の皆さんに迷惑をかけて反省している。罪を償いながら社会のために生きていきたい」と語った。

警視が酒酔い運転をし、接触事故を起こしながら逃げたという事件。この事件、誰もが言語道断の事件だと思うことでしょう。そもそも、酒を飲んで運転をすることは禁止されています。飲酒運転による被害が後を絶たないからですが、少しでも飲酒運転を減らすために警察が取り締まりを強化することは効果があるはずです。実際に、道路交通法の改正で飲酒運転の罰則が強化されて以来、飲酒運転の摘発件数は減少し、飲酒運転による事故は減少傾向にあります。ところが、それでも飲酒運転は無くならないのが現状です。僕は飲酒運転に対する警察の取締りを更に厳しくしてもいいのではないかと考えているくらいです。

今回のニュース、飲酒運転を取り締まる側の警察の一員、しかも警視が飲酒運転をしたという事実。飲酒運転だけでなく接触事故を起こし、逃走したことは情状酌量の余地はないでしょう。僕は裁判では厳しい判決が出るものと思っていたのですが、実際の判決には執行猶予が付いていました。どうして?と思いました。判決文によれば、既に懲戒解雇され社会的制裁を受けているからとのことですが、それだけで済まされる話でしょうか。本来、飲酒運転を取り締まる側の人間の起こした罪です。誰よりも飲酒運転をしてはいけない人間が起こした事件です。他人を取り締まるのに自分は酒を飲んで運転していたでは示しが付きません。厳罰に処すべき罪なはずなのに執行猶予判決が付いていたのは、警察官が犯した罪に対しては軽い判決しか出ないと言われても仕方がないのではないでしょうか。

以前から警察関係者が犯した犯罪の判決は通常の判決の○割軽い判決が出るとの噂を耳にしたことがありますが、今回の判決はまさにそんな甘い判決の一例のように思えてならなかった、歯医者そうさんでした。

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2009年3月11日 (水)

なおしびと

先週末、久しぶりに僕は嫁さんと一緒に映画を見てきました。その映画とはおくりびと。皆さんもご存知のことと思いますが、昨年に公開されて以来ロングランが続いている映画でいくつかの映画祭で賞を取ったり、日本の映画賞を総なめにした感がありました。極めつけはアメリカでの第81回アカデミー賞外国語映画部門を日本映画として史上初めて獲得したことです。

僕自身、映画の評判はいろいろと見聞きしていましたが、実際に映画を見ようとした直接のきっかけは、このアカデミー外国語映画賞受賞でした。一度は見ておかないといけない映画だろうなあ。そう思い、見てきたのです。

映画を見ての感想ですが、評判通りの、いやそれ以上の映画でした。映画の評価は様々な場所で言われ、書かれていますが、そんな評判に違わぬ素晴らしい映画でした。死をテーマにしながらも決して重くなく、時にはユーモアを含ませながら、非常に美しい映像、音楽に支えられたストーリーに僕は思わず目頭が熱くなりました。何かと世知辛い世の中、映画を見終わった瞬間、自分の心が癒されたような気がしたくらいです。僕が座っていた映画館の中でも至る所から鼻をすする音が聴こえていいました。嫁さんとともに久しぶりに感動できた映画だなあと言いながら映画館を後にしたくらいです。

ところで、この映画の中であるシーンが印象的でした。それは、既に遺体となった父親を本木雅弘が演じる主人公が自ら湯灌をする場面。亡き父親に対して納棺師として湯灌を行う運命を感じながらも、それまでにあった父親とのわだかまりが浄化されることを自覚しながら自分の父親を湯灌するというシーン。

この非常に美しいシーンとは比べ物になりませんが、僕はこのシーンと似たようなことを経験したことがあります。それは、歯医者になってから自分の父親に対して行った歯の治療です。

歯医者になってから何年も患者さんの治療を行ってきた僕ですが、親父の歯を治療するようになったのはごく最近です。初めて親父の歯の治療をする時は、自分では意識していないつもりでも、どこか心の片隅に意識をしているものがありました。

しかも、親父は歯医者です。幼少の頃、何度と無く僕は親父に歯を治療してきてもらっていました。それが今度は全く逆で、自分が親父の歯を治療する立場になったのです。

実際の治療は滞りなく終えることができましたが、それにしても自分が学んできた歯科の知識、技術、経験を親父に対して行ったことには何か不思議な気持ちがしました。父親も患者の一人ではありますし、治療中は意識することはなかったのですが、いざ治療を終えて一息つくと、少し感慨深いものを感じました。僕に治療を受けたことを親父はどう感じたのだろう?

親父は僕に治療を受けたことの感想については何も語っていません。ただ、一度のみならず何度も僕の治療を受けていることを思えば、少しは僕の治療を信用しているのかなと勝手に考えています。

映画では主人公は自分の父親を納棺するという“おくりびと”でした。亡き父親をあの世へ送る“おくりびと”であったわけですが、それに対し、僕は生きた父親の歯を治したという経験。映画と比較するのは馬鹿げていますが、映画の主人公が“おくりびと”ならば、さながら僕は自分の父親を治療する“なおしびと”だったかもしれません。

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2009年3月 9日 (月)

お尻の故障って本当?

先週から始まった国別野球対抗戦ワールドベースボールクラッシク(WBC)。16の国が野球の世界一を争うシリーズで、オリンピックでは出場しなかったアメリカ大リーグの選手が多数出場することで注目されています。日本チームもイチロー選手、岩村選手、松坂投手、城島捕手といった大リーグ所属の選手が日本プロ野球の選手と共に第1回優勝に続く連覇を狙っています。既に行われている東京ラウンドは先週から行われています。今日が最終日。日本は中国、韓国に勝ち、今日は東京ラウンド1位を決めるべく韓国と試合が組まれています。

さて、このWBCに関して、僕はある記事を目にしました。この記事です。

大リーグ・ヤンキースのキャッシュマン・ゼネラルマネジャー(GM)は5日、WBCドミニカ共和国代表として出場を予定していたアレックス・ロドリゲス内野手(33)が、右でん部の故障のために大会を欠場することを明らかにした。ロドリゲスは右でん部に張りを訴え、4日に精密検査を受けていた。同GMによると「痛みはないが、しこりがある」という状態で、今後は、しばらく様子を見て手術をするかどうかを判断するという。もし手術した場合、「(復帰まで)4か月かかる」と見通しを語った。

アメリカ大リーグを代表するアレックス・ロドリゲス選手が右臀部の故障でWBC出場を辞退するというニュースだったのですが、僕は英語のニュースを念のために見てみました。英語のニュースの一つはこれです。

臀部の故障、すなわちお尻の故障ということなのですが、英語ではhip injuryになっています。僕は思わず言いたくなりました。これは誤訳であると。

英語でhipというと誰もがお尻、臀部を想像すると思いますが、hipには別の意味があります。それは股、股関節という意味です。英語のhip injuryhipをお尻と訳せば、お尻の故障になりますが、hipを股関節と訳せば股関節の故障となります。どちらが正解でしょう?

正解は英語のニュースに目を通してみればわかります。内容からみてもhip injuryは股の故障、または股関節の故障、損傷と訳さないといけないことがわかります。

実は、hip injuryについては以前から訳し間違いが目立つ英語の一つなのでした。ついついhipイコールお尻と連想してしまいがちなのですが、今回のhipは股関節を指します。

また、hip injuryそのものは股関節の故障、股関節の損傷という意味の決まり文句のような言葉でもあります。

引用した読売新聞はどこのニュースから引用したかどうかわかりませんが、少なくとも英語の本来の意味とは掛け離れた誤訳をしてしまったことは明白です。

ちなみに、こちらではちゃんと股関節と訳されていました。

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2009年3月 3日 (火)

定額給付金詐欺で思うこと

昨今の経済情勢が厳しい中、少しでも国民生活を支援し、経済状態を改善するために導入された定額給付金。現在、国会では定額給付金関連法案の審議されています。全国の市町村では定額給付金の支給準備をし始めている所もあるようで、定額給付金が我々の手に渡る時期が程なくやってきそうです。

既に皆さんもご存知のことと思いますが、定額給付金は平成21年2月1日現在、住民基本台帳に登録されている人、もしくは外国人登録原票に登録されている者を対象としています。実際の給付額は一人あたり12000円。65歳以上、もしくは18歳以下の者は2万円となっています。

この定額給付金の給付に対し、必ずあると予想されていることの一つに定額給付金詐欺があります。まだ定額給付金の関連法案が通っていないにも関わらず定額給付金詐欺の未遂事件がいくつも報告されているようです。総務省のホームページによれば定額給付金の振り込め詐欺や個人情報の詐取などの手口があるようで、注意を喚起しています。

参考までに、僕の世帯では嫁さんと僕とで24000円、チンチンボーイズ二人で4万円で合計64000円が支給されることになっています。

このようなことを書くと非常に不謹慎でお叱りを受けるかもしれませんが、この支給額は、詐欺の視点から考えるとこの額は果たしてうま味のある額なのだろうかという疑問を僕は感じます。昨今の振り込め詐欺の場合、自分の親族に成りすまし、多額の金額を指定する口座へ振り込みようにさせるのが常套手段のようですが、果たして定額給付金で支給される額が振り込み詐欺で被害にあった金額よりも高額か?と問われれば、そうではないように思うのです。

ちりも積もれば山となるではありません。定額給付金詐欺を多数の世帯に対して行うのであればそれなりの額になるのかもしれませんが、その一方で摘発されるリスクが生じてくるはず。果たして定額給付金詐欺が稼ぎのいい詐欺であるのかどうか僕は疑問に感じます。従来の親族に成りすます振り込め詐欺の方が稼ぎがうま味のある詐欺ではないかと思うのです。

金のある所に詐欺は必ずあるものですが、この定額給付金詐欺に関しては精を出す輩というのは小心で、さもしい詐欺のように思えてなりません。それでも定額給付金詐欺は横行するのでしょうね。

ちなみに、僕はどんな類の詐欺であっても詐欺を認めるものではないことを断わっておきます。

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2009年3月 2日 (月)

デジタルスケジュール管理への違和感

「兄貴、これ結構便利だよ」

先週末、我が家を訪れた愚弟が僕にある物を見せてくれました。ある物とはこれです。PDAですね。愚弟は友人の勧めでスケジュール帳の代わりに使い始めたそうですが、結構重宝している代物なのだとか。中に入っている純正ソフトが気に入らなかったそうですが、フリーウェアのソフトをインストールしたところ、非常に使い勝手がよく今では常に携帯してスケジュール管理に使用しているのだとか。

「パソコンとの連携もいいし、付いているこのペンを使えば手書きのメモも保存しておくことができるんだよ。」

単にスケジュール管理だけではなく、備忘録代わりとしてもかなり使い勝手がいいようです。以前からスケジュール管理にPDAを使用している知人を知っていましたが、愚弟もその便利さに魅せられ使用しているようです。

最近、PDAのみならず携帯電話に自分のスケジュールを管理している人をちょくちょく見かけます。多機能化した携帯電話にはスケジュールを管理できる機能が付いています。常に携帯している携帯電話に必要なスケジュールを打ち込み、活用している人は少なくないはずです。僕の周囲を見渡しても何らかの行事や予定が入ると直ぐに携帯電話を取り出し、入力している人を見かけることが多くなりました。

確かにPDAも携帯電話も実際に使いこなせばかなり便利なスケジュール管理ツールになることでしょう。僕がこれら電子機器を使いこなしていないだけかもしれませんが、現在の僕は未だにスケジュール管理は手書きメモです。1ヶ月単位の見開きスケジュール帳に予定を書き込み、確認する。残っている余白を備忘録として活用する。

僕自身、この日記はパソコンで打ち込んでいますし、メールも頻繁に使用しています。写真もデジカメですし、音声データや映像データもデジタル化したものを使用していますし、管理しています。デジタル機器を充分に利用できる人とできない人との格差をデジタルディバイドと呼んで久しいですが、僕自身はデジタル機器はそれなりに利用し、重宝している方だと思います。

けれども、スケジュール管理に関してはどうしてもデジタル化になじめません。その理由は何だろう?

自問自答するに、スケジュールに対する印象がデジタル化できる代物ではないという思い込みがあるからかもしれません。

今のPDAや携帯電話は非常に見やすく、直感的に確認しやすいものに仕上がっています。紙製のスケジュール帳に劣らない拡張性、融通が利くものなっています。

そのことはわかっているのですが、自分の手で紙の上に書く行為は、頭の中に何か絵やイメージを描きやすい、想像しやすい気がします。スケジュール管理をしっかりする管理するという点ではデジタル機器は非常に有利でしょう。ただ、時間の流れを感じながらスケジュールを体感するために、僕にはまだまだ紙とペンの力、アナログの力が必要なように思います。

また、スケジュール管理にデジタルを導入してしまうと、人間関係が非常にクールになってしまうような思いもあります。人間関係は時として言葉で表せない間、雰囲気というものに左右されるもの。スケジュールが人と人との約束によって成り立つならば、デジタルで表せないものもあるはず。デジタル機器に頼り過ぎると、豊かな人間関係が何か味気ないもの、希薄になってしまうようにさえ感じるのです。

それと、デジタル管理に必要不可欠な精密機器に対して避けられない故障の心配があります。紙のスケジュール帳の場合、少々乱暴に扱っても問題ありませんが、PDAや携帯電話となるといくらコンパクトに丈夫になったとはいえ、何か物理的な衝撃により使えなくなる可能性は否定できません。いくら安価になり、バックアップを取っていれば問題ないかもしれませんが、何かとズボラな僕にとってこの点も僕がスケジュールをデジタル管理するに当たり二の足を踏む理由です。

スケジュール管理はアナログ管理の最後の砦のようにさえ感じてしまう歯医者そうさん。単に時代遅れかもしれませんし、紙とペンには少しでも接点を持っていたいあがきなのかもしれません。

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2009年2月25日 (水)

リンクをしたら知らせて欲しい

僕はネット上に“歯医者さんの一服”というサイトを立ち上げ、駄文日記を公開して6年半になります。我ながらここまでよく書いてきたものだと思いますが、何人もの読者の方が存在し、僕の駄文を読んで頂いていることは事実です。実際にアクセス解析ログを見てみればそのことはよくわかります。実に有難いことです。

6年半日記を書き続けていると、時には僕の書いた日記を取り上げ、意見を述べてくださる日記、テキスト、ブログがあります。僕のサイトへリンクを張って下さるため、アクセス解析ログからリンク先がわかります。これら日記、テキスト、ブログの内容は僕の日記に賛同してくれるものもあれば、批判的な内容のもの、更に発展的に議論を展開してくれるものなどがあります。内容の如何に関わらず、リンクをして頂いたことに僕はいつも感謝しています。どんな内容であれ、僕の駄文に反応を示して頂いているわけですから。

かつて、2ちゃんねる系のスレットからリンクされたことがありますが、これは正直言って気持ち良いものではありませんでしたけども・・・。

さて、僕のサイトへのリンクに関して、僕は“歯医者さんの一服”の表紙に下のように宣言しています。

「歯医者さんの一服」はリンクフリーですが、リンク後、お知らせ頂ければ嬉しいです。

これはサイトを立ち上げた今から6年半前に書いたものですが、このことは今も変わりません。どんなサイトであろうと、僕のサイトにリンクをして頂くのは何の制限もありません。全く自由です。

ところで、僕自身、これまで何度も日記にリンクを張ったことがありますが、基本的に自分でルールを決めています。マスコミ系のサイトへリンクを張る場合には、事前に断わりは入れません。日記のネタ元を明らかにする意味でリンクを張っています。最近は、書いてある内容をそのまま引用していますが、その場合でも必ず出典を明らかにする意味でリンクは張ります。

これが個人が管理人であるサイトである場合には、事前にリンクを張っていいか問い合わせをします。いくらリンクフリーであったとしても、親しい友人であったとしてもリンクを張ることを報告します。

どうしてこのようなことをするか?それは自分がリンクを張られたらどうだろうかと考えた結果からです。もし僕がリンクを張られるなら、知らせてもらった方がうれしい。それならば、逆の立場で僕が個人のサイトのリンクを張るなら、報告した方がいいのではないだろうか?そんな思いから僕は個人サイトにリンクを張る場合には必ず断わりをいれるようにしています。

これは全く僕のこだわりであり、他の人に強制するものではありません。僕のサイトにリンクを張っていただくことに関しては、誹謗中傷の内容でないものである限り、いつでも歓迎します。

ただ、その際、リンクを張ったついでにリンクを張ったことを知らせてもらえれば、更に有難く、嬉しく感じます。小心者の歯医者そうさんの本音です。

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2009年2月17日 (火)

時間がかかる教育の効果

個人的なことで恐縮ですが、本日、私は無事43回目の誕生日を迎えました。自分ではまだまだ若いつもりではいるのですが、客観的に考えれば43歳という年齢は立派なオッサン年齢であることは間違いのないところ。これから何年生きるかどうかわかりませんが、少なくとも43歳の1年間は、悔いのないように生きたいものです。

先週末、僕は久しぶりに大学時代の恩師の一人K先生と友人数人と会ってきました。既に大学を卒業して18年が過ぎようとしていますが、今回再会した友人の何人かとK先生とは大学を卒業して以来の再会。お互いに年齢は重ねましたが、同じ釜の飯を食べた仲間だけのことはあります。直ぐに学生時代のあだ名で呼び合いながら話が弾みました。酒を酌み交わしながら、話続けているうちに気が付けば、既に終電車は無い時間帯。それでも、会を行った呑み屋が友人の友達ということで、更に話は続き、お開きになったのは午前3時前。帰宅したのは夜明け前でありました。さすがにこの時の疲れは残り、1日では取れず昨日まで残っていたのは、やはり年のせいでしょう。

そんな楽しい一時を過ごした僕でしたが、改めて強く実感したことがありました。それは、教育の成果が現れるのは時間がかかるということです。久しぶりに集まった友人は皆歯医者でありましたが、母校の大学で講師として学生教育に従事している者もいれば、某病院の歯科口腔外科部長として活躍している者もいました。大規模歯科医院の経営者として辣腕を振るっている者もいれば、僕のように弱小歯科医院の院長として細々と歯医者を続けている者もいます。僕を含め友人たちはそれぞれの道でそれなりに社会貢献しているのです。

かつて僕たちはK先生の指導を受けた学生でした。K先生の歯医者としての実力、指導力は言うに及ばず、人間性に大いに影響を受けた僕たちは今でも恩に感じているが故に、今回のように集まることができたわけです。今ではそれぞれの道で第一線で活躍し、後進の指導に当たるようにもなってきたわけですが、このようになれたのもK先生のおかげだと言えるでしょう。ここに至るまでには18年という時間が経過しようとしています。

人材のことを英語ではhuman resourcesといいますが、直訳すれば人間資源、人間財産です。教育とはまさに世の中の役に立ち、社会に貢献し、後世に伝える人たち、human resourcesを養成することと言えるでしょう。非常に手間がかかり、時間もかかり、金もかかります。けれども、その効果は計り知れないものであり、後日、大きな果実となる可能性がある人材を育てることにつながります。

同級生の友人や僕たちが優れた人材かどうかはわかりませんが、呑み会で話している限り、皆、今の現状を憂い、どうすればもっと明るい未来を作ることができるか悩み、苦しみながらも希望をもって仕事をしている同志であることがわかりました。そんな仲間を持って僕は幸せですし、仲間を育ててくれたK先生の懐の深さ、そしてK先生の教育に改めて感謝したつもりです。

さすがに明け方までの呑み会は体に堪えましたが、またの再開を約束しつつ、それぞれが帰宅しました。快い疲労を覚えながらも明日からの活力を再びK先生と友人から得たような気がした歯医者そうさんでした。

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2009年2月16日 (月)

支払いは忘れた頃にやって来る

最近、周囲の知人、友人と話をしているといろいろと興味深い製品の話を耳にします。実物を見せてもらうこともあり、実際に見てみると非常に魅力的な物が多々あります。これら製品の価格を尋ねてみると、それほど高いわけではなく直ぐにでも購入できそうな値段です。“僕も買ってみて使ってみようかなぁ”とは思うのですが、今の僕にはそれができません。

その訳は、今の懐具合にあります。特に、問題なのがクレジットカードの支払です。年末、年始、僕はいくつかの買物をしましたが、そのほとんどをクレジットカードを使って買物をしました。ただでさえ出費が多い年末年始、少しでも経済的負担を分散しようとした訳ですが、咽喉もと過ぎれば熱さ忘れるわけでもないのですが、いつの間にかクレジットカードを使ったことが記憶の彼方に飛んでいっていたのです。そんな2月になってからクレジットカード会社からの通知が我が家に届きました。

“○月○日 口座から引き落とされます”

急に過去の記憶が蘇る瞬間です。そうだった!支払がまだだった!僕はクレジットカードの支払はなるべく分割をしない方法で、もし、分割する場合でも少ない回数で支払をする主義です。それ故、支払をしなければならない場合、1回の支払がそれなりの額になるのも事実。今月の場合、年末年始の支払が一気に重なり、かなりの額になっていたのです。どうしよう?今僕にできることは普段の買物を極力控え、出費を抑えることしかありません。本来なら、何か新しい収入があればいいのですが、そんな美味しい話は何もありません。ということは、自ずと自分の出費を抑えることしか選択肢がないことになります。買い控えです。少しでも節約したお金をクレジットカードの支払にまわし、支払の足しにする。足りない分は貯金を切り崩す。まさに懐が冬の時代に突入です・・・。

実際には、いくつかの付き合いがあり、ケチケチするわけにはいかないところがあるのですが、それにしても欲しいものが山のようにあるのに何も買えないのは苦しいものです。最初からわかってはいたのですが、クレジットカードがお金を支払ってくれるわけではありません。単に支払を銀行口座から後で引き落としされるだけ。買ったその場で現金を支払う必要がないだけで、支払が免除されたわけではない。わかってはいたのですが、実際の支払請求がやって来ると、その意味を思い知らされます。特に、クレジットカードの支払が高額になると、その意味が重く感じられる今日この頃。

2月、3月はなるべく大人しくしておきます、ハイ。

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2009年2月13日 (金)

叱られていた頃が懐かしい

僕は歯医者になってこの4月で18年が経過し、19年目に突入します。おそらくほとんどの方は歯医者になって19年目を迎える僕を見れば決して若い歯医者であるとは思わないでしょう。ある程度の経験を積んだ中堅歯医者と見るのが普通ではないでしょうか。僕自身、毎日が必死で働いてきたつもりですが、気が付けばいつの間にか新人歯医者とは呼ばれなくなり、中堅どころのポジションにいたというのが実感です。

この年齢になり、改めて気が付いたことがあります。それは周囲の誰かが叱ってくれなくなったということです。僕が某歯科大学の学生時代、大学院時代、研修医時代には指導をしてくれる教官いました。その教官は時には優しく、時には厳しく接してくれました。厳しく接した際には雷を落とすようなことも多々ありました。その都度、僕は自分の未熟さを肌で感じ、落ち込んだり、精神的に塞がったこともあったものです。その時の悔しさをばねに必死に食いついていったことは昨日のことのように覚えています。

今はむしろ僕は後輩を指導する立場となりました。これまで僕が経験したように指導をしているわけですが、いつの間にか僕のことを真剣に考えて叱ってくれる存在がいなくなってきたことに気が付きました。

ある意味、これは精神的には気楽です。誰かに叱られないかビクビクしながら仕事をすることはないわけですから、叱られることによる精神的ストレスはほとんどありません。

その一方、心の中では自分を叱咤激励してくれる存在を求めている自分がいるのも事実です。今自分が行っていることが正しいことなのか?間違っているのか?誰も指摘してくれません。全ては自分が行った結果で知ることになります。自分でしたことを自分で判断する。これが今の僕の立場ですが、このモノ言わぬ判定は、一見すれば気楽なように思えますが、実際は大変怖いものです。自分が気が付かない間に判定が下され、評価される。自分の何気ない行動が自分の一生を左右することさえある、この怖さ。

この怖さに比べれば、叱咤激励時のお叱りなんて怖いものに入らない。そのことに気が付いたのはつい最近です。

“叱られているうちが華”ということを何度も耳にしたことがありますが、そのことを強く実感し、懐かしく思う、歯医者そうさんです。」

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2009年2月 9日 (月)

白衣姿に萌える方へ

週明け早々からこんな話は如何かとは思うのですが、何卒ご容赦のほどを。

昨日、某テレビ番組を見ていると、白衣姿の歯科衛生士を見て思わず感じてしまう、萌えてしまうという意見を耳にしました。冬になると歯科衛生士は白衣の上から紺色のカーディガンを羽織ることが多いのですが、この姿に萌えるとか、マスクの下の素顔が見たい等等、妄想の塊のような意見が続出しておりました。

どうしてこのように感じることがあるのだろう?愚考するに、患者さんの立場として、特に男性患者であれば、白衣姿の助手や歯科衛生士、看護師は非日常です。最近は、男性看護師も目にすることがありますが、看護師も大半が女性。助手や歯科衛生士となるとほとんどが女性です。このような職場というのは周囲を見渡すと限られているはずです。

しかも、女性らしいカラフルなファッションではない、白衣という白色だけの単色ファッション。白の色というと何ものにも汚れていない純粋なイメージを想像しがちなのは僕だけでしょうか?世の中、いろいろなストレス、雑念、汚れの多いことが多いだけに、白色のユニフォーム姿の、中でも妙齢の女性が接してくれる場所というのは、癒されるように感じる患者さんは少なくないはずです。

また、白衣の天使と言われるように患者さんに優しく接する態度も大いに関係あることでしょう。中には厳しく接する人もいますが、いずれにしても患者さんのことを考えての行為であることは間違いありません。患者さんの健康を守るという崇高な使命を帯びての日頃の仕事ぶり。

といったこと等が妄想を抱く理由なのかもしれません。

僕のようにもう20年近く白衣姿で仕事をし、周囲のスタッフが白衣姿であることを見慣れているものからすれば何も感じないのですが、多くの患者さんにとって白衣姿の女性は非日常であるはず。それ故に、患者さん中には思わず萌えてしまう人もいるのでしょう。

ただ、萌えているだけであれば許されるのですが、中には非常に勘違いしてしまう野郎がいるのは困りものです。何か呑み屋のホステスのように口説こうとしたり、住所や携帯電話、メールアドレスを尋ねたり、中には待ち伏せしたり、ストーカー行為のような犯罪行為をしてしまうような輩もいます。

患者さんのことを思い接している白衣の天使たちですが、あくまでも医療現場の話です。彼女たちにもプライベートがあります。どうか彼女たちのプライベートは守ってあげて欲しいと思います。いくら妄想してもらってもいいとは思いますが、どうか迷惑行為だけは控えて欲しいです。常に気持ちよく患者さんと接するためには、彼女たちのプライベートは非常に大切なものです。精神的にも肉体的にもリフレッシュするために必要不可欠な時間です。どうかそのまま見守ってあげて下さい。

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2009年2月 6日 (金)

炎上と名誉毀損

昨日、見ていたインターネットのニュースの中にこのようなものがありました。以下、この記事からの引用です。

25日 読売新聞

著名人などのブログに悪意の書き込みが集中して閉鎖に追い込まれたりする問題で、警視庁は、男性タレント(37)のブログを攻撃した17~45歳の男女18人について、名誉棄損容疑で刑事責任を追及することを決めた。

「殺人犯」などと事実無根の書き込みが繰り返されたという。警察庁によると、「炎上」と呼ばれる現象を引き起こす集団攻撃の一斉摘発は初めて。匿名を背景にエスカレートするネット世界の暴力に歯止めをかける狙いがある。

 警視庁関係者によると、18人は大阪府高槻市の国立大職員の男(45)、千葉県松戸市の男(35)、札幌市の女子高校生(17)ら。すでに自宅などを捜索してパソコンや携帯電話のデータを押収、近く同容疑で書類送検する。

 被害に遭ったのは、テレビのお笑い番組などで活躍していた男性で、18人は昨年1~4月、男性が開設したブログ上で、少年4人が殺人罪などで実刑判決を受けた東京・足立区の女子高生コンクリート詰め殺人(1989年)に、男性が関与したといういわれなき中傷をした疑い。「人殺しが何で芸人やるんだ」「死ね、犯人のくせに」「てめえは何をしたと思ってるんだ」――などの書き込みが、この短期間に数百件に上ったという。

 きっかけは約10年前、所属芸能事務所が「足立区出身の元不良」とのうたい文句で男性を売り出したこと。その後、インターネットの掲示板に、男性を犯人扱いする書き込みが始まった。所属事務所は2002年、ホームページ上で「事件とは全く無関係」と告知したが、効果はなかった。

 男性のブログは中傷を消しても消しても、後から書き込まれる状態が続き、昨年4月、男性はブログを書き込み禁止にするとともに、「タレントとしての名誉が著しく傷つき、芸能活動に重大な支障が生じた」として、中野署に被害届を提出した。

 警視庁で通信記録を調べたところ、数十人が書き込みをしており、その中から執拗に悪質な書き込みを繰り返していた18人を特定した。

 ネット上での中傷被害は年々増加しており、警察庁によると、全国の警察への被害相談件数は07年、過去最高の8871件。08年も上半期だけで5482件に上っている。

何年も日記を書き続けているといろいろなことを経験するものですが、かつて僕も書いた日記の内容について言われのない誹謗、中傷を受けたことがあります。僕が書いた日記をきちんと読めばいいものを、表面的な部分だけを読んで変に誤解し、しかも、“歯医者さんの一服”とは全く関係の無い、某掲示板で勝手に書き込まれたのです。

この書き込みの書き手は全てが匿名で表面上は誰が書いたかわからないようになっていました。よくもこんな酷いことを書くものだと、僕はショックを受けると共に非常な怒りを感じたものです。

そんな僕の経験よりも更に酷いネット上の炎上。多くのサイトで炎上が繰り返されてきたわけですが、僕は炎上を見る度、何らかの規制が必要だろうと感じてきました。

インターネットには表現の自由は認められるべきだと思いますが、自由であるが故にそれなりの不文律もあるはずです。自由に自分の意思を書くなら、最低限の礼儀、ネチケットが必要なはず。それを全く無視し、しかも、勝手な思い込みで酷い言葉で誹謗、中傷を繰り返す言葉の暴力に対して、法的な規制しか手がないのではないかと感じてきました。

今回のニュースは、これら誹謗、中傷を繰り返す輩を名誉毀損で責任追及するという意味で画期的なことだと思います。顔が見えないからと言って、好き勝手に人様の誹謗、中傷を繰り返す輩は厳しく法的に対処しないとわからないように思えてなりません。

インターネット上では誰が誰だかわからないと思い込んでいる人も未だに多いようですが、今や誰が書き込んだかは特定することができる時代です。何を書いても誰が書いたかわからない時代ではないのです。

また、インターネットでは必ず記録が残ります。いくら消したつもりでもインターネット上には記録が残るのです。記録が残れば証拠になります。誹謗、中傷を繰り返す輩はこのことを知っているのでしょうか?知らないまま繰り返しているのであれば愚かとしか言いようがありません。

世の中、厳しく対処しないとわからない輩がいるものです。非常に悲しいことですが、これは事実です。インターネット上で誹謗、中傷を繰り返す輩はこの手の人間がほとんどでしょう。言論の自由は守らないといけませんが、今回のように度を越した誹謗中朝を繰り返す輩には警察権力が取り締まり、厳しく処するしか手がないように思います。誰もが快適で楽しく、有意義なインターネットを利用するためにも、誹謗、中傷を繰り返す無法者には厳しい態度で接する必要があるでしょう。

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2009年2月 5日 (木)

婚活中の人へのエール

昨日、某新聞の読者投稿欄を読んでいると、ある歯医者の先生の投稿がありました。歯医者が書いていた投稿ということで、目に留まり思わず読んでしまいました。

書かれていた内容は、自分の見合いについてでした。当初、大学病院に勤務していたこの先生は、ある時期、新しい部門に異動になったのだとか。慣れない部門で非常に忙しい時期に家族に勧められ、お見合いをしたのだとか。当初は、直ぐに決まってしまうのではないかと恐れさえ抱いていたそうだったのですが、断われたり、断わったりしているうちに見合いの数を重ねていったのだとか。気が付けば10回以上見合いをしているうちに、今の奥さんと出会い。ゴールインしたのだそうです。

今の時代、婚活という言葉が流行しているが、自分の経験からしても結婚というのはなかなか大変なことだったと実感しているそうで、現在の多くの男女がなかなか生涯の伴侶となる人を見つけられず、苦労をしている気持ちがよくわかる。婚活中の方の健闘を祈るとの内容でした。

実は、僕もこの先生と境遇が似ています。今の嫁さんと出会ったのは見合いでした。この先生のように10回以上はしませんでしたが、仕事の岐路の時期に見合いを行っていたこと、そして、複数回の見合いの後、今の嫁さんと出会い、結婚に至ったことなどは僕の場合と大差ありません。

どんな仕事でも同じだとは思いますが、20歳代後半というのは仕事を覚え、集中したい時期でもあります。仕事にのめりこむが余り、意外と異性との出会いって多くないと思うのです。昨今、婚活なる言葉が流行っていますが、その理由の一つに男性、女性ともお互いに仕事が忙しく、出会いの機会が少ないのは事実でしょう。僕もそうでした。睡眠時間を惜しんでの仕事の日々が続いていた時期でしたから、女性と出会う機会には恵まれなかったものです。

それ故に、周囲が持ってきてくれた見合い話というは有難く感じたものです。釣書を書いて、スナップ写真を交換して、お互いの両親と共に同席して出会うという堅苦しさはありますが、限られた時間の中での人生の伴侶を探すという意味での出会う機会として、見合いというのはそれなりに優れたシステムであろうと思います。

そうはいっても、見合いであろうと恋愛であろうと決めては縁でしょう。自分がこの人は!と思う人と出会うにはコツなんてものはありません。ハウツーなんて方法はありません。神のみぞ知る世界、それが縁です。ただ、出会いがなければ縁もないわけで、そういった意味ではある程度異性との出会いを重ねないと縁はないということは言えるでしょう。

いずれにせよ、僕もこの新聞に書かれた歯医者の先生と同じで、現在、婚活中の人には良き人生の伴侶に巡り合われることを願って止みません。

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2009年2月 4日 (水)

1番を取り続ける難しさ

最初に書く話は、お前の自慢話は読みたくない!”と言われそうですが、少しばかり我慢をして読んでください。

今の僕からすれば考えられないことですが、僕は小学校のある時期成績が良かった時期がありました。学校の試験点数では100点満点が当たり前で、一つでも間違えるようなら非常に悔しくてたまらなかったことがあったのです。周囲の友達からは“すごいなあ!”と言われていたこともあるくらいです。

そんな中、周囲の友達の一人が先生から褒められたことがありました。

「○○君は今回の試験で80点取ることができた。前回の試験から30点以上も点数が上がったんだ!」

この先生の褒め言葉に対して、僕は素直に喜べませんでした。なぜなら、これよりも良い点数を取り続ける方がずっと難しいことを先生はわかっていないのか?と感じたからです。

今から思えば、若気の至りとも言えることです。この先生は全ての生徒のことを見ていて、皆の良いところを褒めることにより、勉強に対するモチベーションを上げることに苦心されていたのですから。今となっては僕もそのことはよくわかります。

ただ、テストの点数に関しては今も思いは変わっていません。40点から70点、80点を取るのは意外と易しいもの。ちょっとしたコツと努力をすれば誰でも達成が可能なのです。ところが、80点から90点、そして100点を取るのは難しい。更にこの点数を維持するのはもっと難しい。

小学校以降、僕は落ちこぼれてしまいますが、テストを高点数維持していくことの難しさは大変難しいことは今も思いは変わりません。

今思うに、高いレベルの仕事をし続ける、維持することもこのテストの高点数維持と同じ難しさがあるはずです。

わかりやすいのがスポーツの世界。例えば、アメリカ大リーグで活躍しているイチロー選手は毎年好成績を残し続けていますが、側から見ていると当たり前のように活躍しているように思います。けれども、実際は人の見えない所で大変な努力をし続けているのです。常に人には理解できないプレッシャーと戦いながらです。その苦労は本人以外には決してわからないでしょう。

大相撲の世界も同様です。大相撲の世界も成績によって階級にわかれており、十両以上の関取に上がるのは大変です。更に十両以上、幕内から小結、関脇、大関、さらに横綱になるには非常に大きな壁があり、横綱になることができる力士はほんの一握りです。更に横綱には勝ち続けなければならない、常に優勝争いに加わらなければならない立場でもあります。勝ち越しだけではだめ。長期休場、長期離脱するようでは引退しなければいけないのです。横綱のような頂点を極めている力士は日々大変な精神的圧力を受けながら、日々鍛錬に励んでいるのです。

高いレベルの仕事をし続ける難しさというのは医療の世界でも同じです。歯医者では一定の知識、技術、経験があれば患者さんの訴えの8割程度は対処できるようになるものです。ところが、残り2割の訴えに対しては大きな山があります。僕自身、そのような症例がありますが、いつも四苦八苦しています。時には誰かの助けを借りたり、専門家の相談を仰ぎながら対処したりするものですが、完璧な治療をするにはまだまだです。

更に、レベルの高い、医療業界でもトップクラスと呼ばれている治療を行っている人は更なる努力をし続けていることが容易に想像つきます。

何事も高い質の仕事をしている人は、人には言えない努力を積み重ねているものだと思いますよ。

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2009年2月 3日 (火)

息切れしそうな借入金返済

昨日、僕宛に一通の葉書が届きました。表に親展と書かれた葉書は差出人が某金融公庫。案内が内側に書いてあり、紙と紙の間をはがして開封するタイプのものでした。中身を確認すると、そこには“融資金額残高等についてのご案内”というタイトルと昨年末時点の実際の融資資金額と融資残高が書いてあったのです。

融資残高を見て、思わずため息をついた歯医者そうさん。実際の金額をここに書くことはできませんが、完全に返済するにはまだまだ年月がかかる現実を改めてしりました。

この後、嫁さんにもこの葉書を見せたのですが、嫁さん曰く

「結婚前は歯医者って儲かる仕事だとばかり思っていたけど、実際は全然そうではないのね。一見すると派手に金を稼いでいるようだけど、内実はそうじゃないね。入ってきたお金のほとんどが経費や借入金の返済にまわるのだから。開業医は大変よ。」

設備投資というもの、一度投資を行えばそれで終わりかと言うとそうではありません。定期的な管理が必須ですし、時間が経過すれば新規に設備を替えることも必要です。

歯医者も同じです。毎日、患者さんの診療に使用している器具、器械は基本的に消耗品です。日頃、管理を行っていても、どこかでガタが来る時があるもの。思い切った設備投資が必要な時期があるものです。

うちの歯科医院では数年前からある装置と診療台をリニューアルしたのですが、これらを購入する資金を自前では持っていませんでした。そのため、某金融機関から借入したのですが、その返済が続いているのです。まだ何とか返済し続けているだけましかもしれませんが、長期間にわたっての返済というのは、何だか息切れしそうな感覚に襲われます。かと言って、遊んでいては借金は減りません。

本来仕事は、患者さんの健康を守る崇高な使命のもと、行わなければいけないもののはずですが、現実は厳しい経営状態がどうしても脳裏にちらつきます。

さあ、今日も働かないといけません。頑張りましょう

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2009年1月30日 (金)

掲示板閉鎖を考える

歯医者さんの一服日記を開始して以来、設置していた掲示板、歯医者さんの一服BBS。僕の駄文を読んだ方にいろいろな考えや提案、意見や批判などを書いてもらえるように設置した掲示板で、これまで大変多くの書き込みがありました。一時期、掲示板の不調があり、一部の発言が消えてしまうトラブルはあったのですが、概ね正常の機能し、過去の発言もほとんどが過去ログとして記録に残っています。この書き込みは僕にとっては財産以外の何物でもありません。僕の駄文を読んでいただけるだけでも有難いのに、掲示板にまで書き込んでくださる読者の方の熱意にいつも感謝、感激しています。

そんな掲示板ですが、現在存続させるべきか悩んでいます。どうしてなのか?それは掲示板に変な書き込みが多発しているからです。掲示板にはスパム書き込み対策がなされています。そのため、表面上は何も変化がないように思いますが、管理者モードで見てみると、一日に大変な数のスパム書き込みがあるのです。

歯医者さんの一服BBSに書き込まれるスパム書き込みには大きく分けて2種類あります。一つはプログラム投稿と呼ばれるもので、これはブラウザーを用いずに何らかのソフトを用いて不特定多数の掲示板に投稿するタイプのもののようです。

もう一つがご丁寧に掲示板に書き込んでいくタイプの書き込みです。ここでは書けないような非常に猥褻な内容の文章とともに、どこかのアダルトなURLを書き込んでいくタイプのものです。最近、増えているのがこのタイプの書き込みです。

プログラム投稿に関しては、掲示板が完全に対応していますので問題ないのですが、困っているのが書き込みタイプのものです。一応、それなりの対策を取り、書き込もうとしても書き込めないようにしているつもりですが、それでも書き込んできます。だいたいどんな輩が書き込んでいるかわかっていますし、記録は取っていますが、非常にうっとおしく感じるようになってきました。これではせっかく掲示板の意味がなさない。変な書き込みをされることにより僕のみならず掲示板を読んで下さる方にも迷惑がかかる。それなら、いっそうのこと掲示板を閉鎖した方がいいのではないかと考えるようになりました。

以前、日記書き友達と話したことの中に掲示板の設置をするかどうかを話題にしていたことがありましたが、多くの日記書き友達が掲示板の設置に頭を悩ましていました。その理由は、僕が今悩んでいるのと同じ理由からで、何人もの日記書き友達が掲示板を閉鎖してきたのを僕は知っています。

最近のブログではコメント欄にもスパムな書き込みがあるようですが、ブロガーと呼ばれる人はこのような書き込みにどのように対策を立てていいか、頭を悩ませていることでしょう。現在のところ、ブログでは変な書き込み、宣伝目的の書き込み、トラックバックに対しては一つ一つ消去するしか手がないと思いますが、せっかくの日記に対する日記書き、ブロガーと読者との交流場所の一つである掲示板に変な書き込みが多発するのは、何か神聖な場所を冒されている、汚されているような気がしてなりません。

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2009年1月28日 (水)

きれいな字を書きたい

人は声でお互いの意思疎通を図っていましたが、長い歴史の中で文字を発明し、発言内容を記録したり、より多くの人に伝承する手段として用いるようになりました。その根本は人が書く文字でした。その後、印刷技術の向上により活字が生み出されましたが、それでも字は人が書くものだったのでした。ところが、ここ10数年のパソコンやインターネットの普及は字を書かなくても文を伝えることができる劇的な変化となっています。

かくいう僕もこうやって“歯医者さんの一服”日記を“歯医者さんの一服”日記はパソコンを通して書いています。書いているというのは正確ではないかもしれません。パソコンを用いて文字を打ち込んでいるといった方が正しいですね。

僕の日常生活を振り返ると、僕は一日の一定の時間、文字を書いています。それはカルテに記入することです。最近では電子カルテといってパソコン上にカルテがあり、キーボードを利用して打ち込んでいくタイプのカルテが主流になりつつありますが、カルテに関して僕はまだまだアナログ派です。限られた診療時間内で必要なことを書くには、まだ手書きのカルテの方が使いやすいのがその理由です。今後のカルテのデジタル化の世の流れから考えると、僕も今後はカルテも電子カルテ化していかないといけないかもしれません。

いつも書いているカルテですが、自分のカルテを見る度に幻滅することがあります。それは自分が書いている字が年々下手くそになってきていることです。

元々、僕は字が上手ではありませんが、上手でないなりにそれなりのバランスを取り、他人が何とか読むことができる字を書いてきたつもりです。ところが、その文字が徐々に崩れてきているように思うのです。限られた診療時間内に患者さんの治療内容を書くことは結構大変なことではあります。そのため、どうしてもカルテに書く文字が殴り書きになる傾向にあるのです。

ただし、いくら書く時間が限られているからといってもカルテは自分の日記ではありません。僕のみならずスタッフも読みます。そして、患者さんの求めがあれば患者さんにも公開しないといけない公文書の一種でもあります。それを他人が読めないような乱雑な字で書かれているとすれば、大きな問題です。

そういった意味で僕は字をきれいに書く人がうらやましく思います。人が書く字はそれぞれで個性があるものですが、僕の知人の何人かは実に丁寧なバランスが取れたきれいな字を書かれます。字が汚い僕からすれば実にうらやましい。どうしたら字がきれいになるのだろう?

そんなことを思っていた昨日のことでした。我が家にある郵送物が届きました。送り主は僕が某歯科大学学生時にお世話になったベテラン歯科衛生士Kさん。Kさんは、僕が某歯科大学の臨床実習時に何もしらない僕をいろいろと手取り足取り世話をしてくれた恩のある歯科衛生士でした。このKさん、実は歯科衛生士以外に別の顔を持っていました。それはプロの書道家。歯科衛生士をしながら書道も行い、何度も個展を開くぐらいの実力の持ち主だったのです。Kさんとは某歯科大学卒業後も交流があったのですが、そのKさんから送られてきた郵送物の中身にはペン習字の教則本が入っていました。書いたのはもちろんKさん。

“この度、初めてこのような本を書きました。字がきれいだと得をすることが多いもの。お忙しいとは思いますが、是非活用して下さいね”

Kさんが書かれた手本の文字がたくさん書かれているペン習字の本。見ているだけで心が洗われるような美しさです。これくらいきれいに文字が書ければ楽しいだろうなあ。ここまでかけなくても、少なくともお手本にして少しでも乱れた自分の字をきれいにしたい。これは是非ペン習字を始めないと罰が当たるなあ。そんなことを感じた、歯医者そうさん。Kさんに感謝です。

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2009年1月23日 (金)

同じユニ○ロを着た人

ユニ○ロと言えば、今や知らない人はいないことでしょう。世界的不況の嵐の吹く中、多くの企業が業績を悪化させる中、一人勝ちしているといっていいほど製品が売れている企業です。一定の質があり、デザイン性もあり、何よりも安価であることから多くの人がユニ○ロの服を購入しています。我が家にもいくつものユニ○ロの服があり、僕も愛用しているシャツ、パンツがあります。

そんなユニ○ロですが、よく売れているが故に困ったことがあります。それは、自分が着ているユニ○ロと同じユニ○ロを着ている人に出会うことです。

先日、僕は某所で買物をしていたのですが、僕の目の前を通り過ぎた男性が着ていたシャツは僕が着ていたものと全く同じでした。思わず“ユニ○ロ”と叫びたくなるくらいでした。

この話を知人の歯医者に話すと、同じような経験があったというのです。この歯医者、あるショッピングモールで友人と待ち合わせていたそうですが、目の前に現れた友人を見てびっくりしたのだとか。その訳は、友人がシャツもパンツも自分と全く同じ組み合わせのユニ○ロを着ていたのだそうです。全くの偶然とはいえ、申し合わせたかのようなのユニ○ロ同士の姿をみて、赤面してしまったそうです。

よく売れている製品は多くの人が購入しているのは当たり前のことですが、それにしても全く同じユニ○ロを着ている人に会うというのは、それくらいユニ○ロが非常に多くの人に気に入られている証拠かもしれません。

ただ、目の前に現れた人が全く同じ服装というのも奇異な感じがするもの。

おそらく、全国各地で同じユニ○ロを着たユニ○ラーが生息していることでしょうね。

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2009年1月21日 (水)

米国大統領就任式報道への違和感

今朝未明、アメリカ合衆国の首都ワシントンではオバマ新大統領の就任式が行われたようです。ワシントンの連邦議会議事堂前には200万人とも言われる多くの人がアメリカ中から集まっていたとのこと。4年に1度のアメリカ合衆国大統領の就任式ではありますが、いろいろな意味で世界の中でも超大国であるアメリカ合衆国の最高責任者である大統領。今回、選挙で選ばれたバラク・オバマはアフリカ系アメリカ人初の大統領でもあることから、この度の大統領就任式は歴史的瞬間であると評する人も多いのだとか。昨年始まった金融危機に端を発した不景気に苦しむアメリカで、新大統領が如何に国を好転させるか、今後の政治手腕にも注目が集まっているようです。

日本でもこの大統領就任式を生中継していたそうですし、多くの新聞やテレビ、ラジオでもトップニュースとして取り扱っています。

確かに未だに世界に多大な影響を与える超大国であるアメリカ合衆国の大統領が就任する就任式は世界中の人々の関心の的であることは間違いないとは思います。特に自国であるアメリカ合衆国では一種のお祭りみたいな雰囲気があることは否定できません。

ただ、日本はアメリカ合衆国ではありません。日本にとってアメリカ合衆国は切っても切れない関係にある国であるとはいえ、外国の一国に過ぎません。そんな国の大統領就任のニュースをどうして日本のマスコミがこぞって大きく取り上げるのか、僕には理解できません。

良い意味でも悪い意味でもアメリカ合衆国が及ぼす影響は計り知れない大きさがありますが。オバマ新大統領がどういった政治を行うか、日本に対してどのような関係を築くかは日本の将来に大きな影響を与えはすることでしょう。ジョージ・W・ブッシュ前大統領が行った日本への対応とは変化する可能性はありますが、それも今後の話。

アメリカ新大統領が就任して喜ぶのはアメリカ合衆国国民だけで充分ではないでしょうか。どうして日本で、それも大統領就任式を生中継までして放送するのでしょう?他国の大統領就任に浮かれている暇があったら、もっと日本国内の諸問題に目を向け、解決に寄与するようなニュースを報じた方が得策ではないかと思うのです。何だか他国の大統領の就任式なのに騒ぎ過ぎのように思えてなりません。

なかなか明るいニュースが少ない中、今回のアメリカ合衆国新大統領就任のニュースはおめでたいニュースかもしれませんが、同じ明るいニュースなら、アメリカ合衆国の話題よりももっと日本国内の明るいニュースに比重を大きくして報じるべきではないだろうか?

今朝のアメリカ合衆国新大統領就任のニュースを見て、違和感を覚えた歯医者そうさんでした。

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2009年1月16日 (金)

僕はメールが嫌いです

他人と連絡を取る方法にはいろいろとあります。直接会って話をしたり、手紙を書く方法。電話をかけたり、ファックスを送る方法。インターネットが普及した今ではメールが重宝されています。少し前までメールと言えばパソコンが無いとできませんでしたが、携帯電話のメール機能によりいつでもどこでも気軽にメールを送ることが可能となりました。若い人は起床してから寝るまで欠かさずメールを送り続けている人もいるようですし、大の大人も大阪府知事のように府政をメールで運営するようなケースもあるくらいです。

僕にとってもメールは今や必要不可欠な意思伝達手段の一つです。メールを送らない日はないくらいでが、メールをいくら使っても僕はメールが好きになれません。便利なツールだとは感じているのですが、心底好きなツールではないのです。

その理由は単純です。メールは文字、テキストしか書かれていないからです。人間同士が意思疎通をはかる場合、目的である伝えたいことの裏側には様々な感情、気持ちがあるはずです。冷静沈着を装っていても怒り、喜び、悲しみ、諦めなどの感情、気持ちに左右された精神状態に支配されているのが人間です。人間は、言葉では表すことができない空気、雰囲気というものを発しているはずなのです。

面と向かって話をしていれば、そのあたりの状況はわかります。同じ言葉を話していても、話す相手の口ぶり、顔の表情、態度、体の動きなどから伝えたい言葉以外のことも何となく伝わるものです。

ところが、メールでは言外の心情、空気を込めることができません。最近は顔文字、絵文字などを含めて書く場合も多いようですが、実際のメール送信者の気持ちをメールの文字に込めることは相当至難の業といっていいでしょう。果たして、それが良いことなのか?

僕がアナログ人間であると言われればそこまでかもしれません。単純な予定、確認などを行うツールとして用いるならメールは非常に有意義なものです。ただ、人と人との会話の間で成り立つぬくもり、信頼感、愛情などはメールで得られるものか?僕は常に疑問に感じます。普段、顔と顔を見合わせて話をしている中でのメールのやり取りは許せるものの、単にメールだけに終始する意思伝達方法に、僕はいつまで経っても違和感を取り除くことができません。僕はメールが好きになれません。僕はメールが嫌いです。

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2009年1月15日 (木)

富裕な国保保険料滞納者

昨夜、今年初めての地元歯科医師会の会合がありました。仕事が終わってからの寒い夜、正直言って会合に出かけるのは億劫になるのですが、何とか出席してきました。

新年早々の会合ということでまずは先輩の先生方と新年の挨拶を交わしていたのですが、その中でベテランのY先生が話していたことは考えさせられることでした。

Y先生は地元行政が運営する国保組合のモニターをされています。直接運営には参加はしていないのですが、国保組合の活動を外部から見つめ、定期的に意見を述べる立場なのだとか。

昨今、全国の市町村国保組合では保険料の滞納が大きな問題となっています。僕が住んでいる地元市の国保組合でもこの保険料の滞納が深刻な問題になっているとのこと。特に最近目立つのは生活の困窮者からの滞納よりも、明らかに生活に余裕がある人からの保険料滞納が増えているというのです。

地元市の国保組合は組合員が10数万人いるそうですが、この中で年収1000万円以上ある人からの保険料滞納が増えており、昨年では100人近い滞納者があったというのは驚きです。ここでいう年収とは基準が前年の年収とのこと。一昨年の年収が1000万円以上あっても昨年はそうではないケースもありうるわけですが、それにしても100人近い滞納者があるということは、保険料滞納が生活苦ではない場合が確実にあると考えてもおかしくないでしょう。実際には、保険料を支払う余裕があるのに敢えて支払わない輩もいるようです。

年齢を重ねれば重ねるほど、思わぬ事故に遭遇したり体調を崩すことが増えるもの。健康保険はいざというときのため、多くの人たちの助け合い、共助の精神で分担金を出し合い、医療費を支えあう制度です。今は自分は関係ない、医者にかかる必要はないと思っていても、長い目でみれば誰もが医療の世話にならざるをえないのです。その時のための蓄えの一つが健康保険です。多くの国保組合の場合、組合員の保険料のみならず多くの税金が投入されているのは言うまでもありませんが、基本は組合員の保険料です。

国保組合の保険料の高騰で保険料を支払いたくても支払えない人が増えてきているのは事実ですが、その一方で、生活に余裕があるはずなのに意図的に保険料の支払を拒んでいるというのは如何なものかと思うのです。

社会保険や共済保険の場合、保険料は給料から天引きです。多くの国保組合の場合、自らが保険料を納める形式を取っていますが、悪質な保険料滞納者の場合、財産の差し押さえなどの強引な処置を講じないと保険料を支払わないのかもしれません。非常に情けない話ですが、世の中にはどうも医療保険の本当の意味を理解しようとしない輩がいるようです。悲しいことです。

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2009年1月14日 (水)

遺灰からの貴金属回収について

昨日、ネットのニュースを見ていると、このようなニュースが流れていました。以下、このニュースからの引用です。

朝日新聞1月13日付

公営火葬場から出る遺灰に含まれた貴金属を自治体が回収して換金したり、遺灰そのものを売却したりして、一部の自治体が収益を収入に組み入れていることが分かった。名古屋市は年間約1千万円、東京都も約300万円の売却益があった。こうした処理は遺族側には知らされていない。

 火葬し、収骨されたあとの遺灰には歯の治療や人工骨などで使われた金、銀、パラジウムなどの貴金属が含まれている。

 朝日新聞が東京都と政令指定都市など20の自治体に取材したところ、都と名古屋市が遺灰の中から貴金属を回収し、売却していた。新潟、前橋、群馬県高崎の3市は遺灰そのものを業者に売却していた。福岡市は業者が売却した貴金属の収益を市に納めさせることを08年度から始めた。その他の政令指定都市は「回収はしていない」としている。

 東京都では、遺灰を引き取った業者が遺灰を(1)貴金属(2)硬貨(3)残骨灰に選別。金とパラジウムは延べ板、銀はパチンコ玉大の球状にした後、都に納めていた。07年度は金700グラム、パラジウム500グラム、銀1900グラムを回収。都は市況を参考に売却し、約320万円の収益を上げた。また、ひつぎには硬貨も入れられることがあるが、都は07年度、計約9万円の硬貨を回収し、収入に組み入れた。

 炉数46基と国内最大級の火葬場を抱える名古屋市は07年度、金2キロ、銀7キロをはじめプラチナ、パラジウムなど計12キロの貴金属を回収。金属加工会社などに売却し、1019万円の収益を上げた。

 福岡市は、業者が回収した貴金属の売却益を市に納めさせるようにした。07年度の実績だと約340万円の収入になるという。また、前橋、高崎市は遺灰を売却し、07年度に約400万円の収益をそれぞれ得ていた。新潟市は06年度まで売却し、720万円(同年度)の収益があった。

遺灰の所有権をめぐっては、収骨前は遺族の所有、収骨の後は市町村の所有とした1939年の大審院(現在の最高裁)の判決があり、多くの自治体は「遺族が持ち帰らなかった段階で所有権は放棄された」(名古屋市健康福祉局)との立場をとる。遺族側への説明について「時々質問はあるが、こちらから積極的にしていない」(東京都瑞江葬儀所)という。

 貴金属の回収や遺灰の売却が始まった時期は、はっきりとしないが、名古屋市は「記録に残っているのは約20年前から」、都は「かなり以前から」という。「売上金を市町村の雑収入にしている」と明記した戦前の大審院の資料もある。

 回収する理由について同市の担当者は、遺灰は市の財産で業者が売却して利益を得るのは好ましくないとし、「年間約1千万円の収益があり、回収しないともったいない話。市の財源になっている」と話す。

 一方で、貴金属の回収や遺灰の売却をしていない自治体の中には、遺族感情への配慮や所有権の問題などを理由に挙げるところもある。

 北九州市は「人体を換金するのは不遜(ふそん)」と市民から反発の声があがり、91年度以降、売却をやめた。市の要綱で「残灰は遺体の延長で敬虔(けいけん)に処理する」と定めている。神戸市は「財産権もからむので、売却しない」としている。

歯医者をしていると、患者さんが被せ歯、差し歯が取れた。入れ歯が割れたということで来院される方がかなりいます。口の中の状況によりますが、これら取れた被せ歯、差し歯をそのまま使うことができず、作り直すことがあります。その際、僕は必ず患者さんに取れた被せ歯、差し歯の処理をどのようにするか確認します。患者さんが自分で持っておきたい希望があれば患者さんに手渡しますし、患者さんが不要だと言われれば、僕は特定の回収箱に回収し、専門業者に処理を委託します。被せ歯、差し歯の貴金属が利用できる場合は再利用する場合もあります。

いずれにせよ、僕は必ず被せ歯、差し歯の処理をどうするかは患者さんに確認を取ることにしています。いくら取れた被せ歯、差し歯でも患者さんの持ち物であり、体の一部であったわけですから。これは当然のことだと思います。

今回のニュースで書かれているように、公営火葬場から出る遺灰の貴金属の中には被せ歯、差し歯、人工骨で利用された貴金属が含まれていることがあるのは事実です。これらの処理については、法的にも判例があるようですし、この判例に則って処理をすれば問題はないはずです。すなわち、遺灰に含まれる貴金属の処理は、火葬をして収骨をして残った貴金属に関しては市町村の所有であることに問題はないはずです。それなのにどうして今回のようにニュースで取り上げて、問題視するような報道のされ方をされるのか、僕は理解できません。人体を換金するのは不遜という意見もあるようですが、それならば、収骨の際、遺族が全て回収するべきなのです。遺族が収骨した後に残された貴金属に関しては、市町村に処理を委託することを遺族が認めたと考えるのが自然ではないかと思いますし、その貴金属を換金するかどうかは行政である市町村の自由だと思うのです。

ただし、遺族の故人に対する感情を考慮すれば、遺族には火葬後に残された故人の貴金属に関して、どのような処理を希望するか?充分な説明と処理を確認する義務が行政にはあると思います。これは歯医者での取れた差し歯、被せ歯の処理と同じです。遺族に充分な情報提供をし、処理方法を尋ね、処理を委託された場合、行政は故人の貴金属を換金してもいいのではないかと思います。

ご遺体から換金することには賛否両論あるとは思いますが、僕はご遺体からの換金は遺族の了承さえあれば許されるのではないかと考えます。ほとんどの市町村は赤字に苦しんでいます。限られた税金からの財政をもとに、如何に広く市民に行政サービスを提供するか、日々悩んでいるはずです。遺族の了承が得られた場合、市町村へのご遺体貴金属からの換金は、ご遺体からの貴重な寄付行為として解釈することが許されると思うのです。亡くなった方は戻ってはきませんが、ご遺体の貴金属が残された遺族を含めた多くの市民がより良い生活、行政サービスを受けるために使われるのであれば、故人も納得するのではないかと信じたいのです。

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2009年1月13日 (火)

まだ大人になっていない僕

幼少の頃、僕は時々考えたことがあります。僕が大人になったらどんな大人になるのだろうか?と。小学校、中学校、高校、大学を卒業し、仕事に就く。結婚して、家庭を持って子供ができて親になる。

幼少の頃の我が家は大家族でした。僕は母方の親家族と一緒に住んでいたからです。母方の祖祖母に祖父、祖母、母の弟である叔父、母と親父、僕と弟。合計8人が同じ屋根の下で暮らしていました。例えるなら漫画のサザエさん一家のような感じとでもいったらいいでしょうか。家族の年齢構成が一桁から10歳代、20歳代、30歳代、40歳代、50歳代、60歳代、70歳代が一家にいたなんて時期もあったくらいです。幼少の僕にとっては、男女の違いはありますが、将来年齢を重ねるとどのようになっていくかということがどんなものか、目の前にちょうどよいサンプルで囲まれていたように思います。そんな家族を見ていると、大人になるということは、自分よりも年齢が上の家族になることを実感していたつもりでした。

現在、僕は42歳。この2月をもって43歳になります。20歳になってから既に22年、23年が過ぎています。結婚をして12年、二人の子供の親にもなりました。既に人生の半分以上は20歳になってからの人生。世間からみれば、充分にオッサンの年齢ではあります。

ところが、今もって僕には“本当に僕は大人になっているのだろうか?”という疑問があります。年齢を考えればかつて自分が憧れていた大人の年齢に達したのは事実です。しかしながら、僕がかつて想像していたしっかりとして信頼のある、頼りがいのある大人に僕はなっているかと問われれば、僕は到底“Yes”とは答えられないのです。

幼少の頃、僕は大人は何でも知っているようなイメージを持っていました。実際に自分が大人になってみると常に悩みに囲まれ、誰かに助けを求めたくなるような気持ちが常にあります。体格は大人になり、僕の髪の毛には白髪も混じってきました。確実に体はオジンになりつつあります。かつて2~3日徹夜しても平気だった体力は1日睡眠不足でも疲れを感じるようになってきました。その一方、僕の精神はいつまでも大人になりきれていない。

これが今の僕です。

他の大人はどうなのか?僕は詳しくはわかりませんが、多かれ少なかれ、大人って、偉そうに見えていても実は不安な毎日を過ごしているのではないでしょうか?

大人になって22年の僕の、正直な大人の感想です。

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2009年1月 9日 (金)

子供の名前に当て字は如何なものか?

「目の玉が飛び出るくらいびっくりしたわよ。世も末かなとも思ったわ。」

嫁さんが僕に言ってきた言葉です。一体何事だろう?と思い尋ねてみると、何でも嫁さんが驚いていたのはあるテレビ番組で取り上げていたことのようでした。

街頭インタビューで16歳でママになって若者に子供の名前を尋ねていたそうですが、その際、子供の名前が“苺”という漢字で“ベリー”と呼ぶのだとか。

これには僕も驚きました。どう考えても“苺”で“ベリー”とは呼ぶことは非常に困難です。英語で苺はstrawberryですが、百歩譲っても“苺”から“ベリー”を想像することができるでしょうか?僕にはできません。

子供の名前に当て字を使うことは以前から少なからずあったように思いますが、最近はその傾向に拍車がかかっているように思います。僕自身、歯医者として小学校の定期検診や就学時検診、幼児の3歳児検診や1歳半検診に出務することが度々あるのですが、子供の名前を確認するのに必ずフリ仮名を見ないとわからないようなケースが多くなってきました。身内をみても、僕の従妹に子供がいるのですが、この子供の名前も当て字でして、漢字からは一体どういう名前なのか想像することは、おそらく誰もわからないと思います。

子供の名前は、親や親族が決めるもの。親や親族の子供へ託する夢、思いが名前に込められるのではないかと僕は理解しています。この夢、思いが漢字に当てはまらない場合があっても僕は構わないとは思います。

けれども、子供の名前を強引に漢字に当てはめようとする当て字は僕には理解できません。同じ当て字にするなら、ひらがなやカタカナにした方がいいのではないかと思うのです。ひらがなやカタカナにしたなら格好が悪いというのは、名づける者のワガママに過ぎないのではないでしょうか。

子供には自分の名前を決めることはできません。親が決めた名前で一生生きていく運命です。(法的には例外もあるようですが。)子供の名前に恥ずかしい名前は無いと信じたいですが、どうも当て字の名前には品格が無いものが多いように感じるのは僕だけでしょうか?当て字の名前に品格があるかどうかは、人それぞれ。価値観が違いと言えばそこまででしょう。ただ、同じ子供の名前をつけるなら、誰もが読むことができる、愛される、品格のある名前を名づけることを目指すべきではないのか?僕は子供の名前の当て字を見るたびにその思いを強くします。

こんなことを書くと、僕は既に古い世代の人間だと言われるかもしれませんね。

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2009年1月 6日 (火)

物言わぬ人は怖い

かつて、僕の先輩の一人がこんなことを言っていました。その先輩は歯医者です。ある治療に関して歯科業界では名前が通っている人です。何度も歯医者の集まりで講師として講演をしたり、実地指導をしたりしている方なのですが、その方がこんなことを言っていました。

「僕はかなりの数の講演をしてきたけれども、未だに講演の前は緊張する。なぜなら、講演を聴講する人の中には、いろいろな人がいるけれども、知識も経験もある人が必ずいるもの。そのような人は物言わずして僕の話をじっくりと聞いている。このような人を相手にいい加減な話はできない。物言わぬ聴衆は一番怖い存在なんだ。」

最近の傾向として、自分の意見を率直にダイレクトに言う人が増えている人が多いように思います。確かに何も物を言わないと意思疎通ができない側面もあることでしょう。何かと世知辛い世の中、自己主張をしていかなければ自分の存在が軽んじられ、無視されれば生き残っていくことは難しい。そのように考えて仕方のないところも否定できません。

ただ、能ある鷹は爪を隠すとも言います。何も知らない振りをしていて、実は相手をじっくりと観察する。真に知識、技術、経験があればどんな状況においても落ち着いて、冷静に対処する術をわきまえている人が確実にいるように思います

これは考えてみれば非常に恐ろしいことです。黙っているからといって見くびっているつもりが、実は相手から見下されている、相手にされていないなんてことがあるものなのです。

何でも口に出して言わないと何も相手に伝わらないと思いがちですが、真の実力を持っている人ほど、思わぬことを観察しているものです。何気ない振る舞い、言葉遣いから相手の出身、性格、思考、習慣、知識、技量までも見切ることできる。

そのようなことを考えれば、僕はいつでも、どこでも、誰に対しても謙虚にならなければならないなあと思うのです。いつ何時自分が試されているかわからない。世の中はおくが深い。もっと畏れ多い人が数多くいることを常に意識しなければならないのではないかと考えます。

うぬぼれている暇はない。これは自分に対する戒めです。

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2009年1月 5日 (月)

年末ジャンボ宝くじの結果

今日から新年の仕事始めだという人が多いのではないでしょうか?僕もそうで今日が新年の仕事始めです。

また、『歯医者さんの一服』日記も日記書き始めです。改めまして本年もよろしくお付き合いのほど、お願い申し上げます。

さて、昨年の年末の話になるのですが、僕は生まれて初めてあることをしました。それは宝くじの購入。いつも年の瀬、大晦日に当選を決める年末ジャンボ宝くじを某所で購入したのです。

これまで僕は宝くじには興味も関心もありませんでした。宝くじが嫌いというわけでもなかったのですが、特に宝くじを買いたいというモチベーションがなくこれまで生きてきたような気がします。

そんな僕が突然、宝くじを購入したきっかけは某所を歩いていた時でした。ある用事で某所を歩いているとふと目に入ったのが宝くじ売り場だったのです。これまで何度も宝くじ売り場を見たことはありました。当初、”こんな場所で宝くじを売っているのだなあ”とだけ思っていたのですが、そう思った瞬間、無性に宝くじを購入したくなったのです。半ば発作的に購入したといってもいいかもしれません。どうしてこのような気持ちになったのか、今から思ってもよくわからないのですが、宝くじを買いたいと思うや否や僕は宝くじ売り場の前にいました。宝くじ売り場には何種類かの宝くじを売っていたのですが、僕が購入したのは年末ジャンボ宝くじでした。一枚が300円の宝くじを20枚購入したのです。

購入した宝くじには1000万枚当たり1本が2億円の1等で、1等の前後賞が5千万円で2本、2等の1億円が2本などなど記載されていました。1000万枚でわずか1本、2本の低い確率で億単位の当選金が当たるという事実。

”こんなことで3億円を手に入れるなんてことは絶対にないだろうなあ”

それでも不思議なもので、宝くじを購入すると“3億円当たったらどうしよう?”といういろいろな仮定の想像がいろいろと湧いてきます。確率は非常に低いとはいえ、宝くじを購入すれば当選金をゲットできる可能性があるからです。

今ある借入金を返済するか、診療所を改造するか、新しく建て直すか。

そんなことをすれば近所からは変な目で見られるからとりあえずは貯蓄するかな。

株の投資は、今はしない方が無難だな。

そんなことよりも思い切ってどこかの団体に寄付した方がいいか?そんなことしたら家族に顰蹙かな。

宝くじが当たったことは絶対に周囲には漏らしてはいけないな。急に親戚が増えるようなことにもなりかねないし。家族に口封じをしていても誰か家族が漏らしたら、それこそ大変な騒ぎになる。3億円当たったばかりに人生がめちゃくちゃになってしまう・・・

なんとも小市民的な妄想です。書いていて自分で呆れている始末。

そんな年末ジャンボ宝くじですが、結果はどうだったかといいますと・・・

一応当たりました。6等3000円が1本と7等300円が1本。今回の当選番号では、6等と7等の下一桁の番号が同じなので、実際には6等1本と7等2本が当たったことになるそうで、当選金額の合計は3600円。6000円の宝くじを購入して3600円が当たったことになりました。すなわち、2400円の持ち出し、マイナスの結果となりました。

人生そんなに甘いわけではないわけですね。知人にこのことを話すと、6等が当たっただけでも大したものだと言われましたが、

実際は損をしています。

ただ、妄想とはいえ、ちょっと夢は見させてもらったように思います。“もし宝くじに当たったら?”という夢は、宝くじを買わないとわからないということがよく理解できました。宝くじがよく売れる理由もわかったような気がします。宝くじを購入しても高額な金額は当たる確率は非常に低い。けれども、宝くじを購入しなければ当たる可能性もない。夢を求めて多くの人は金を払って宝くじを購入しているのだなあと実感しました。

夢求め見事に砕け散った昨年の年の瀬の歯医者そうさんでした。

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2009年1月 1日 (木)

新年の挨拶

新年明けましておめでとうございます。当地では外の景色がうっすらと白く雪景色となった元旦ですが、皆様の所は如何でしょうか?

2009(平成21)年で『歯医者さんの一服』日記もネット上で公開してから7回目の新年を迎えることになりました。歯医者の何気ない日常を中心に歯や口の健康に関することを書いてきました。今年もこの姿勢は変わりありません。地道に日記を書き続けていこうと思います。

読者の皆さんにおかれましては、今年も宜しくお付き合い下さいます様、心からお願い申し上げます。

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2008年12月25日 (木)

高校英語で英語授業を行う不安

先日、高校の学習指導要綱改定のことがマスコミに取り上げられていました。中でも英語授業に関しては授業も英語で行うことが触れられていることが注目されています。僕自身、仕事柄、英語の論文やサイトを見ることが少なくなく、英語には一生付き合わないといけない身であります。英語というのはあくまでもコミュニケーションの一手段であり、肝心なのは仕事の中身であることは言うまでもないことではありますが、僕もかつては高校で英語を学んできました。そして、高校卒業以降も英語を学んでいるだけに今回の高校での英語学習指導要綱改定に関して、非常に関心を持っています。

個人的には英語で授業をすることは賛成です。我々の国語である日本語を学ぶ際、誰も日本語以外の言葉で学びません。最初から日本語で学びます。生まれた時から親が日本語を話しているのを聞き、まねることで日本語を覚えていくもの。これが自然な言語の習得方法です。どこかの英語講座の宣伝文句ではありませんが、外国語を学ぶには目的とする外国語で囲まれ、シャワーのように浴びながら習得するのが自然です。

かつて僕は英語を母国語とするカナダ人による英語授業を受けたことがあります。このカナダ人、日本語が話せない人だったのですが、その分、英語を母国語としない人に対する英語教育には長けている人でした。非常にシンプルでわかりやすい英語で授業を行っていたので、僕にとっては非常に有意義な英語授業でした。

生徒の方はもっと戸惑うでしょう。英語の実力は教師以上の千差万別です。既に英語を母国語とする人と対等に話せたり、小説や文献が読める英語の実力がある生徒がいると思えば、三単現の動詞の活用さえままならない、中にはアルファベットを書くことさえ危い生徒もいます。これまでずっと日本語で授業を受けてきた生徒にいきなり英語の授業をしても生徒に戸惑わせるだけ。

英語授業で効果がある生徒は、ある程度の英語の語彙力があり、英語のリスニングの基礎力を持っている生徒に限られるでしょう。それだけのトレーニングを中学校時代にこなしている高校生徒がどれくらいいるものか?本来なら高校だけでなく中学校、場合によっては小学校での英語授業との兼ね合い、カリキュラムの改正が必要なはずですが、それがありません。こんなことで大丈夫なのだろうか?と非常に不安に感じます。

また、大学入試試験がどのようなものになるかも大きな問題でしょう。例えば、英語試験の問いが英語で出されるのか否か?これまでと同じように日本語での問題文なんてことになると、大学入試試験英語は英語による英語授業の現実と大きく乖離する結果となります。高校で英語による英語授業をするなら、当然のことながら大学でも英語で英語授業をしないといけないはずですが、今回はあくまでも高校指導要綱の話で大学については全く触れられていません。これも大きな問題でしょう。

以上のことを考えると、今回の英語による英語授業というのは時期尚早のように思えてなりません。一種のモデル指導要綱としては評価してもいいのかもしれませんが、日本全国津々浦々に至るまでの高校英語教育。いくら義務教育ではないといっても高校の授業は全て小学校、中学校からの延長上にあります。そのことを全く念頭におかずにいきなり高校で全ての英語授業を英語で行うというのは混乱が生じるだけでしょう。そして、英語ができる生徒とできない生徒の格差がこれまで以上に大きくなるように思えてなりません。

ただ、この先生の英語授業を受けた後は非常に疲れたものです。全く日本語で考える余裕がなく英語漬けでしたので、頭の中が非常に混乱しました。しかしながら、面白いもので何度か授業を受けているうちに英語に慣れ、ある時など睡眠中に英語で夢を見たようなことがあったくらいです。どれくらい正しい英語での夢だったかどうかは今から思えば疑問ですが、自分の頭の中の思考メカニズムに英語が確実に入ってきたことは確かです。

それでは、来年度から英語で英語授業ができるかどうかということになると別問題です。僕は相当困難だと思わざるをえません。一つは教える側の問題。英語教師とは言ってもその実力は千差万別。英検1級、TOEIC800点以上の教師がいると思えば、英検2級の実力もない英語教師もいます。驚くべきことに英語の発音が苦手だという英語教師もいるくらいです。高校の英語を全て英語で行うという志は高くても、教える側の体制が整っていないのは明白な事実。これで来年度から英語授業が行えるのか甚だ疑問です。

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2008年12月24日 (水)

難しい性教育のタイミング

クリスマスイブという日にこのような話を書くのは適切ではないかもしれませんが、ご容赦のほどを。

先週末、病み上がりの僕に嫁さんがあるものを見せました。

「○○ちゃんがこれを隠していたのよ。」

○○ちゃんとは小学校4年生の上のチビのこと。嫁さんが持っていたものを見せてもらうと、それはあるテストの答案でした。テストの点は65点。これまで上のチビはどんなにテストの点が悪くても僕や嫁さんには見せていたのですが、このようにテストを両親に見せずに隠していたのは初めてでした。嫁さん曰く

「どのように○○ちゃんに言ったらいいかな?」

普段からチビたちには

“テストで間違っていても恥ずかしくない。テストで間違ったところは自分が理解していないところなのだから、次回から間違えないようにしっかりと復習することが大切だ。どんな点数を取っても両親には必ずみせなさい”

と言ってきました。これまでチビたちは僕の言ったことを素直に守ってきてくれたのですが、今回のように答案を見せなかったのは初めてだったのです。たまたま、嫁さんがチビの机周りが散らかっていたので整理をしていた時に見つけたとのこと。

僕は考え込んでしまいました。なぜなら、隠していたテストの科目が保健であり、内容が性教育に関することだったからです。

上のチビが通っている小学校では小学校の中学年から性教育を行っています。非常に早い時期から性教育を行っているものです。僕が小学校の時には性教育を受けた記憶はありません。せいぜい、中学校3年生か高校になってからだったように記憶しています。実際のところ、学校で教育を受ける前に様々な方法で性教育の大半を知っていましたが・・・。

以前から性教育をどの段階から行えばいいか議論があったとは思いますが、それにしても小学校4年生で性教育を行っているというのは個人的には若干早いのではないかと感じますが、子供の成長はひとそれぞれです。成長の早い女の子の場合には、小学生高学年の時点で既に胸が大きくなったり、初潮さえ始まった子もいるとのこと。体の急激な変化に何の知識もなければとまどうのは子供。また、最近の誤った性の知識や性病、エイズの蔓延を考えると、性教育を早くから行うことは時代の流れかもしれません。

僕は上のチビに注意するよりも、上のチビから何気なく話を聞くことにしました。先週末、僕は上のチビと二人で風呂に入ったのですが、その時に学校の性教育の授業のことを何気なく聞いてみました。最初、恥ずかしそうにしていた上のチビですが、徐々にいくつかのことを話してくれました。

・性教育の授業は男子と女子が別々の教室で分けられ、行われたこと

・授業は数人の先生が交代で行ったこと

・話している授業内容がピンとこなかったところと恥ずかしいところがあったこと

・授業終了後、テストがあったこと

などがわかりました。

僕は隠していたテストのことは一切触れず、冬休みに父親である僕が今一度性教育のことを復習することを上のチビに提案しました。

「冬休みに一度チンチンのことを勉強しよう。」

上のチビは“うん”と頷きました。

どんな性教育の話をするかどうかは現在考え中です。皆さん、何かいい工夫、アイデアがあったら教えて欲しいのですが、今のところ、僕は性器が体の大切な臓器の一つであること、男の子の体に起こる変化、特に夢精に関することは必ず話をしておこうと考えています。

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2008年12月22日 (月)

ダウンしていました

先週の金曜日、僕はいつも更新する日記を休みました。これには理由があります。体調が悪くダウンしていたからです。

先週の木曜日、午前中の診療が終わった頃でした。自宅に戻り昼ごはんを取ろうとすると突如、何となく体に寒さを感じるようになりました。

“あれ、急に外が寒くなってきたかな?”

と思ったのですが、嫁さんに確認したところ、それほど寒くはないとのこと。

“もしかしたら風邪でもひいたかな?”と思いながら昼ごはんを食べていたのですが、寒さは治まるどころかひどくなるばかり。体中が震えるようになりました。それだけではありません。何となく悪寒のようなものも感じ始めたのです。

“これはやばい!”

とは思ったのですが、昼からも診療があります。とりあえず僕は部屋の温度を温め、着込みました。上は長袖下着とタートルネックのセーター、さらにその上からフリースを、下はパッチを穿いてからパンツを着込み、コタツの中に入り込んだのです。そうでもしないと震えが落ち着きませんでした。

「そうさん、どうしたの?」

と驚いた嫁さんに事情を話すと、体温計を持ってきてくれました。そして、体温を測ったところ、38度台の熱。

これまでの経験からすると、明らかに風邪の症状でしたが、それにしてもいつもの風邪であれば何らかの前触れがあります。咽喉が痛いとか体がだるい、痛い、頭痛がする等々。今回は突如何の症状も無くいきなり寒気、悪寒、発熱が生じたのです。これは一体なぜ?とは思ったのですが、それよりも心配だったのは午後の診療でした。果たしてこのような状態で診療できるのか?いつもなら親父がいるのですが、この日に限って用事で外へ出ています。代わりに診療できる人はいません。昼休みの1時間が勝負でした。何とか震えが止まることを望みながら、診療開始ギリギリまでコタツの中で暖を取りました。

幸いなことに、午後の診療開始前には何とか震えや悪寒がましになりました。僕は気合を入れて診療所へ行き、患者さんの治療を行いました。

ただ、本調子ではなかったため、いつもよりも診療リズム、ペースがうまくいかなかったのは事実です。何とか患者さんには迷惑をかけないようにしながら午後の診療は乗り切りました。最後の患者さんの治療を終えるや否や、僕はスタッフに事情を話し、直ちに自宅へ直行、寝室の布団の中へ潜り込みました。体力の限界だったのです。何をする気も起こらず、ひたすら眠くなり寝入ってしまいました。

気がつくと、翌朝でした。気がつくと、あれほど苦しかった全身の震え、悪寒、発熱は無くなっていました。倦怠感は全くなく、空腹さえ感じました。ただ、日記を書く気力はありませんでした。

僕は何とか朝食を取り、診療の準備に取り掛かりました。心配した家族は皆声を掛けてくれましたが、僕は全く問題ないことを伝え、何事も無かったのように診療を始められました。

それにしても、この突然の症状は一体何だろう?愚考するに、インフルエンザの予防注射の影響があるように感じます。数日前、延び延びになっていたインフルエンザの予防注射、ワクチンを接種したのです。予防注射当日、僕は体調に何も問題を感じませんでした。体温も平熱、血圧、脈拍も正常でした。

これまで何度もインフルエンザワクチンを接種してきましたが、接種後、体には何の問題もありませんでした。そのような中での今回、突然の体調の変調。先週、インフルエンザワクチンの紛れ込み事故の話をしたばかりですが、僕自身、今回自分に紛れ込み事故のようなものを考えることはできません。そうすると、可能性として高いのはインフルエンザワクチンによる影響か?。

今後慎重に今回のことを振り返らなければなりませんが、それにしても今回の突如体調不良。非常に気味が悪いですね。

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2008年12月18日 (木)

赤ペン添削

今から17年前、僕は初めて学会で発表をしました。当時大学院生だった僕は初めての学会発表で心踊りながらも一体どうして準備をすればいいかわからず、試行錯誤でした。やっとのことで口演用の原稿を書き、指導教官の指導を受けたのですが、原稿はほとんど僕の書いた文字が見えないほど見事に赤字で訂正されて返ってきたのです。それは、まるで赤ペン先生の指導か、それ以上の添削でした。僕自身、決して手を抜いたわけでなく一生懸命時間をかけ、何度も見直して書いた原稿だったのですが、指導教官すれば僕の書いた文章は全てにおいて修正が必要だったようです。

以降、何度か書き直し添削を受けて初めての学会発表をしたのですが、今から思うに非常に得がたい体験をしたように思います。何回もの添削によって学会発表用の原稿がどんなものか頭だけでなく、肌で感じることができたからです。学会発表には独特のひな形、形式みたいなものがあり、この形式からはずれると専門家にとって非常に違和を感じるものなのです。指導教官によって真っ赤な文字で訂正された僕の原稿は、学会発表の形式に慣れるような指導、激励だったように思います。

年は過ぎ、現在、僕は地元歯科医師会の後輩の先生の発表の面倒をみる立場となりました。後輩の先生は初めての発表ということで、準備に余念がありませんでした。まるで17年前の僕のようだったのですが、できあがってきた資料を見て僕は考え込んでしまいました。それは、資料のように見えて全く資料としての体裁が整っていない代物だったからです。一体どこから修正すればいいのか?と言いたくなるような資料。僕は一つ一つ細かく添削していきました。まさに一から教えなければいけないような状態だったのです。僕が訂正をしていった挙句、後輩の資料は真っ赤になりました。完全に赤ペン先生です。まさしく、17年前の僕と同じ状況でした。

おそらく後輩の先生はまだ発表がどんなものかわかっていません。無理もありません。初めての発表ですから。後輩の先生は決して手を抜いたわけではないことは重々承知していますが、いかんせん、資料を読んで僕はしっくりとしませんでした。具体的には、資料に流れ、ストーリーがないのです。後輩の先生は思いつくまま資料を作っていったことは確実ですが、このままでは誰にも相手にされないのは明白でした。そこで、僕が訂正をしていったわけですが、結果的には文面が真っ赤となりました。

これは仕方がなかったかもしれませんが、かつての僕のように少しでも自分がどうして訂正されたのかを理解し、次に繋げられるか、向上できるか努力して欲しいと願わずにはいられません。

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2008年12月16日 (火)

年賀状送付先を削除できるか?

今年も残るところ後15日となってきました。もういくつ寝るとお正月♪と歌ってもいいような時期になってきました。

この時期、僕にとって、そして、多くの方にとって準備しなければならないことの一つに年賀状書きがあるでしょう。毎年、新年を迎えるに当たって各家庭に届けられる年賀状を楽しみにされている方も多いのではないでしょうか。僕も年賀状を心待ちにしている一人ではあるのです。

一方で年賀状を書く際、いつも悩むことがあります。それは、毎年年賀状の送付先が増えてくることです。僕自身、年を重ね、様々な人と付き合い、つながりができてきます。縁あって付き合っている方には新年の挨拶である年賀状は必ず送らなくてはいけないだろうと思い、年賀状を作成しています。

最近、僕も年賀状ソフトを使用し、宛先、宛名や図柄などはパソコンとプリンターを使用しています。かつては年賀状は全て手書きで書いていましたが、送付先が多くなるにつれ、時間をかけて手書きすることができなくなりました。そのため、年賀状を作成する際には、パソコンの力を借りて印刷しています。ただし、いくらパソコンを利用して年賀状を作成しても、必ず一言手書きのメッセージを入れてはいます。全てを印刷にしてしまうと非常に味気なく、温かみがないように思うからです。

そんな年賀状ですが、送付先が増えてくるにつれ、いつも悩むのは、果たして例年通りの送付先に年賀状を送付してよいものだろうか?という疑問です。何年も会っていない人で年賀状だけのやり取りをしている方は大勢います。そのような方々に対し、これまでどおり年賀状を送り続けていいのだろうか?と思います。中には年賀状を送付するリストから削除しても差支えがないのではないかと思う方もいるのです。

以前、このことをある先輩に相談したところ、年賀状を送付するだけでも関係は続く。その関係がいつ何時どういった場所で生きてくるかわからない。そう簡単に年賀状の送付しなくなるのは非常にもったいない。ということをアドバイスされました。その先輩の言うことには説得力がありました。せっかく気づきあげてきた関係を自ら放棄するようなことにつながる年賀状送付先の削除は避けた方がいいだろうなあと思ったものです。

ただ、年々年賀状の送付先が増えてくると、果たして年賀状の送付先を増えるがままにしておいていいのだろうかとも思うのです。一年の終わりに自動的に年賀状を送ることが果たして人間関係の継続に役に立つのだろうかと。少なくとも、自分にとってどう考えても関係が薄い人の場合は、削除してもいいのではないかと思うようになったのです。

ただし、自ら送付先を絞りこむ場合には、年賀状には今回が最後の年賀状であることを書いたメッセージを入れておかなくてはならないとも思います。相手に失礼にならないようなメッセージを一言書き、許しを得るような形で年賀状を送ってからでないとだめではないかと。突然年賀状を送付しなくなるのは相手に対して失礼だろうと思います。

これは難しいことだろうと思います。いざ送付先を削除しようとしてもなかなか踏ん切りがつきません。送付先の相手に対し、今後年賀状を送ることを遠慮するメッセージを書くくらいなら、書いてしまった方が手っ取り早いかもしれませんね。

今回の年賀状、僕は年賀状送付先を削除することなく年賀状を送ることになりそうです。

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2008年12月 5日 (金)

陛下、働き過ぎです!

昨今、アメリカの金融危機を発端とした不景気のせいか、各企業では派遣社員の契約打ち切りが発表されたり、既に実行されているようです。突然のリストラで戸惑う派遣社員も多いようで、マスコミでそのような方たちのインタビューが報じられています。非常に心が痛みます。不景気だからといって在庫調整にように簡単に派遣社員の契約を打ち切る企業というのは如何なものでしょうか?企業には企業の事情があるとは思いますが、派遣社員もヒトです。皆生活がかかっています。もっと思いやりのあることはできないのかと思います。

その一方で、仕事はあるものの過労の方もたくさんいます。特にリストラが進む企業では残された人にのしかかる仕事は増えていくばかり。残業代もままならない状態の中、朝早くから夜遅くまで必死に働く人たちも少なくありません。生活の心配はないかもしれませんが、自らの体を犠牲にしているようなところもあり、これも非常に大きな社会問題となりつつあります。

過労といえば、新聞には総理大臣の一日のスケジュールが記載されています。僕も時折見ているのですが、一国の最高権力者としての義務と責任の結果ではあるのですが、それにしても朝早くから夜遅くまで分刻みのスケジュールです。これも相当の体力がないとやっていけない仕事だなあと感じます。

先日、天皇陛下が体調を不安を訴え、急遽公務をキャンセルしたというニュースが流れていました。何でも不整脈が生じ、高血圧を伴っていたことから休養が必要と判断され、公務がキャンセルされたようです。天皇陛下の公務はどのようなスケジュールなのだろうか?疑問に感じた僕は宮内庁のホームページに掲載されている天皇陛下の公務スケジュールを見てみました。

正直言って、天皇陛下は働き過ぎです。今月23日には満75歳になられる天皇陛下です。下々の者であれば既に第一線を退き、悠々自適の生活をしても良い高齢です。中には体調を崩し、病気療養や介護を受けざるをえない方も少なくない年齢。そんな高齢の天皇陛下の公務スケジュールは多忙極めると言っても過言ではないでしょう。年齢のことを考えれば、今回の天皇陛下の体調不良は、過労による影響が強いと考えます。

天皇陛下まで過労であるということは、ある意味、現在の日本の状況を表しているとも言えるかもしれませんが、宮内庁はもっと天皇陛下の体力、体調を考えた公務計画を立てる必要があるのではないかと感じた次第です。

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2008年12月 4日 (木)

KYな書き込みに苦慮する

僕がインターネットを始めて10年以上が経過しようとしていますが、これまで多くの個人サイトを訪れました。今でも毎日のように訪れるサイトもありますし、定期的に目を通すサイトも多々あります。個人サイトの中には掲示板やコメント欄があり、僕も読むことがあるのですが、気の利いたコメント、ユーモアのある書き込みがあると思えば、中には場の雰囲気にそぐわない、今風に書けば、空気の読めない、KYなものを目にすることがあります。単発のコメントならばいざしらず、中には書き込むコメントが常にKYである人がいるのです。

しかも、たちが悪いのは、KYなコメントを連発する人は自分自身がKYなコメントを書いていることを自覚していない場合が多いことです。どうしていつもそんなに外れたコメントをしているの?と突っ込みたくなるような内容なのです。

管理人からすれば自分のサイトに来てくれる常連のような方の場合、無下に扱うことができません。そのため、そのようなコメントに対し、管理人のレスは非常に気を遣ってコメントしています。管理人の方は大変だなあと思うことしばしばですが、その苦労を知ってか知らずか、おそらく気がつかないままKYなコメントをし続けているのは、側で見ていると呆れて物が言えなくなります。

この手のKYなコメントを連発する人をどう扱うか?かつて、日記書き仲間の呑み会で話題になったのですが、なかなか良い結論は得られませんでした。ある日記書き友達は、

「無視するに限る」と言いました。

「コメントのレスを書いているとKYなコメントを書き続けるので、レスをしなくした」

「コメント欄やBBSを閉鎖し、メールのみにした」

などと答えてくれた友人がいました。中には自分のサイトそのものを休止したり、閉鎖してしまった友人もいたくらいです。それくらい、日記書きの友人は対応に苦慮していました。

ちなみに僕の場合ですが、この“歯医者さんの一服”でも掲示板がありますが、幸い、空気の読めない方によるコメント、レスなどはありませんでした。サイト管理人にとって非常に有難い、賢明な読者ばかりで感謝しております。

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2008年12月 2日 (火)

汗をかかないと信用されない

先日、母校の大学の後輩から電話がかかってきました。電話の内容は相談でした。何でも現在後輩が勤務している勤務先の上司である院長先生と折り合いが合わないというのです。一体どういうことか?いろいろと話を聞いてみると、どうもいつまで経っても自分を信用してくれず、何かにつけて小言を言われるというのです。大学を卒業して間もない頃であればいざしらず、既に何年も経過している自分に対して細かい指導が入ってくるとのこと。非常にうっとおしく感じるそうで、そろそろ、勤務先を変えた方がいいのか?それとも、思い切って開業をした方がいいのか考えている。先輩の意見を聞きたいという電話だったのです。

かつて僕も大学院時代、研修医時代の上司の先生と合わず苦労をしたことがあります。後輩と同じような悩みを持ち、仕事に身が入らないことが何度もありました。後輩の心情は非常に理解することができました。後輩には、上司からどういった小言を言われているのか尋ねました。

いくつかの小言の具体例を聞いた僕は、あることを後輩に尋ねました。それは、どうして後輩がいつまで経っても独り立ちさせてもらえないのか?考えたことがあるのかどうかと。自分が被害者のように思っているかもしれないけれども、果たして客観的にみてそれは正しいのか?上司との性格の不一致やパワハラなどが理由であれば、職場を変えたり、独立するという選択肢もあるが、本当に自分に非はないのか?一度頭を冷やして考えてみたらどうかと言ったのです。

人の信頼を得ようと思えば、誰よりも地道な仕事、評価に値しないような仕事でも黙々とやり続けなければならないものです。いわゆる、汗をかかないといけない時期が必要なのです。汗をかいている時期は、自分がこんなことをしていていいのか?自問自答することもあるかもしれません。けれども、僕の経験では、そして、多くの人が指摘しているとは思いますが、汗をかいている人は、その人が感じていない場所から見ている人がいるものです。気がついていないフリをしながら、しっかりと見ている人がいるもの。

“あいつはしっかりと一つ一つ仕事をしている”“目立たない場所で汗をかいている”

直ぐに結果は出ないかもしれません。けれども、時間の経過とともに汗をかき続けると、周囲から次第に信頼を勝ち取り、仕事を任されることにつながるのではないかと思うのです。

世の中には僕の後輩と同じような悩みを持っている人が多いと思います。全ての人が当てはまるわけではありませんが、いつまで経っても信頼されない裏には、何か理由がある。本当に上の人の立場にたって考えれば、汗をかいているかどうか?

僕は後輩に汗をかいているかどうか?もう一度冷静に考えることをアドバイスしました。そして、汗をかいていなければどうしたら汗をかけるのか?考えるだけでなく実行することを諭したのです。

果たして僕のアドバイスが後輩に届いたかどうかわかりません。必ずしも後輩が期待していたアドバイスではなかったかもしれません。厳しい口調でいいましたので、後輩は気分を害したかもしれませんが、どうか僕の本当の思いが彼に届き、少しでも前向きに、今の仕事の状況が改善されるよう、願って止みません。

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2008年12月 1日 (月)

追い込まれないとしない人

今週の水曜日、僕は某所で歯科に関する勉強会で講師を務めることになっています。依頼されたのは1ヶ月以上前のこと。突然の申し出で戸惑いもありましたが、某所の方の熱心な口説き文句のせいもあり、引き受けることにしたのですが・・・。

まだ準備ができていません。昨日の日曜日は必死に準備をしていたのですが、準備をし始めるのが遅かったせいで準備が整っていないのです。

本来ならもっと早くに準備をし始めるべきでした。少しだけ言い訳させてもらうと、日常の診療はともかく、何かと所用があり、それを少しずつこなすので必死な日々が続いていました。そのため、なかなか準備に取り掛かれなかった事情はありました。ただ、勉強会の日取りは予め決まっていたのです。それも某所の担当者と僕とが相談の上で決めてのこと。僕が事前に了承したわけですから、一度引き受けた日取りは簡単に変更することができません。

なぜこのようなことになったのか?言い訳を抜きにすると、その原因は僕がスロースターターであるからです。何せ日程に余裕がある時にはエンジンがかからず、日程が迫ってこないと準備をしださない性質だからです。

正直言って、いつも後悔しています。何か約束事や課題がある際、どうしてもっと日程に余裕を持って準備はしないかと。精神的に余裕を持ちながら準備をすれば、完成度の高い準備ができるのではないかと思うのですが、それができないのが己の悲しい性です。

僕が好きな作家の一人に池波正太郎がいます。この方は、一度も依頼された原稿の提出を遅らせたことがなかったのだとか。しかも、期日には余裕をもって出来上がっていたとのこと。池波正太郎曰く

「いつも原稿の締め切り日から逆算し、どうすれば原稿ができるか考えながら書いていた。」

うらやましいです。常に余裕を持つためには常に出来上がりから逆算し、いつ何をすべきか考え、実行できる。僕もいつの日かこのような習慣を身につけたいのですが、そうはいっても直前に迫った勉強会の日程は刻一刻と迫ってきます。

さて、今日も診療の合間と診療終了後に追い込みの準備をしていくことにしますか!

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2008年11月28日 (金)

誤字、脱字に呆れる

以前から僕が書く日記は誤字、脱字が多く、何度も読者の方から指摘されたことがあります。自分ではそれなりに誤字、脱字のないように書いているつもりなのですが、一日の仕事の合間、限られた時間で日記を書いています。自分が書いた日記を冷静に点検する余裕がないのが実情です。そのため、とんでもない字を書いたまま日記をアップしてしまうことが頻繁にあります。

かつて、ある日記友人にこのことを話すと、ブログの画面やホームページ作成ソフトに直接字を書くのではなく、一度ワープロソフトに原稿を書いてからコピー・ペーストすれば、誤字、脱字は少なくなることをアドバイスされました。この友人のとおりにしてみると、確かに誤字、脱字は少なくなったように思います。

最近のワープロソフトはおかしな漢字や表現を打ち込むと、画面の文字に赤波線や黒波線が表示されます。これを見れば、自分の誤字、脱字が機械的に確認できます。昔から英文ワープロではこうした誤字、脱字を指摘する機能がありましたが、今では日本語でも標準機能の一つとして付属しています。誤字、脱字が多い僕としては非常に重宝する機能です。

それでも、まだまだ僕の書いた文章には漢字の誤変換による誤字、脱字があります。自分でも呆れてしまうくらいですが、不思議なことに、僕は他人の書いた文章の誤字、脱字を見つけることは得意なのです。

地元歯科医師会での仕事の一つに他の先生が書いた文書を点検することがあるのですが、その際、僕はいつもいくつもの誤字、脱字を指摘します。

「そうさんに見てもらったら完璧だな」

と言われるくらいです。

それなのに自分が書いた文書で誤字、脱字が多いのはなぜ?愚考するに、自分が書いた文章に客観的になれないせいかもしれません。他人の書いた文章を読む際、何の先入観も無く読むことができます。特に、文章の誤字、脱字チェックの場合、一字一字を確認しながら読むことができます。ところが、自分が書いた文章の場合、これができないようなのです。本来なら自分が書いた文章を一度声を出して読んでみればいいのかもしれません。

ある有名な作家の方のテレビドキュメンタリーを見たことがあるのですが、その方は、必ず自分が書いた文章を自分の声を出しながら読んでいました。言葉の誤字、脱字の点検だけでなく、リズム、情感を声を出すことで確認されていたのです。一流の作家のやることは違うなあと感心したものです。

それなら僕もこの作家を見習えばいいはずなのですが、ついつい億劫になってしまいます。だめですね。もっと自分が書いた文章は責任を持って書かないといけないなあと自己反省しきりの歯医者そうさんでした。

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2008年11月27日 (木)

原石の宝石を発見する喜び

ここ数日、僕は仕事の合間を縫ってあることをしています。それはレポートの採点。僕が講師を務めている某専門学校ですが、週1回の講義は先月終わりました。講義は終了したのですが、いくつかのテーマでレポートを提出する宿題を出していたのです。学生が書いたレポートが僕のもとに郵送されてきたのが先週末。僕は学生一人一人のレポートを読みながら採点をしています。

正直言って、何十人もの学生のレポートを採点するのは大変です。僕はいくつかの採点基準を設け、その基準に則って採点をしているのですが、学生が書いたレポートを隅々まで読みながら採点をしています。拾い読み、飛ばし読みすることなく読んでいるわけですからかなり大変な労力です。普段から採点慣れしている方であれば採点の要領があるのかもしれませんが、採点に慣れていない僕にとって時間がかかる作業です。

しかも、学生のレポートはいろいろです。真面目に書いているレポートもあるかと思えば、真剣に書いているのかわからない、熱意の無いレポートもあります。当然のことながら、真剣に書いていないレポートに対する評価は低いのですが、採点する方もモチベーションが下がってしまいます。

ただ、中には僕が思わずハッとするような発想、視点を持って書かれたレポートもあります。僕は自分が課題を出したレポートに対して、“自分ならどのようなことを書く“というイメージを持っていますし、実際に見本のような形でワープロに書いておくこともしばしばです。

実際のところ、多くの学生のレポートは僕の予想を超えるようなものではありません。しっかりと真面目に書かれているレポートは多いのですが、書き手の考え、発想、視点は僕の想定の範囲内のものがほとんどです。ところが、数は少ないのですが、思わず僕も唸ってしまいたくなるようなことを書いているレポートがあります。書き手のことを思い浮かべると、あんな学生がなあ?と思いたくなるような学生が書いた内容が非常に刺激的で新鮮であることがあるのです。そのようなレポートを読んだ時は、さながら何もなさそうな大地から宝物の原石を見つけたような感じがするのです。僕と学生とは教師と教え子という関係ではあるのですが、時には教え子でありながら僕を上回っているような発想、視点を持っていることがあるという事実。僕はこのことに驚きながらも、宝物の原石を見つけたこの上ない喜びを感じます。この原石を磨いてやれば、非常に光り輝く宝石になる。そんな予感さえ感じるのです。

レポート採点は大変な作業ではありますが、たまにこうした素晴らしい内容が書かれたレポートを読み、大変刺激を受けるものですね。

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2008年11月20日 (木)

社会常識欠落している医者について

昨日、インターネットでニュースを見ているとこのような記事が出ていました。以下その引用です。

読売新聞11月19日

麻生首相は19日午後、首相官邸で開かれた全国知事会議で、地方の医師確保策に関連し、「病院を経営しているから言うわけではないが、医師の確保は大変だ。もっとも社会的常識が、かなり欠落している人が多い。とにかくものすごく価値観が違う。そういう方をどうするか、という話を真剣にやらないと……」と述べた。

首相がかつて中核企業の社長を務めた「麻生グループ」は、病院を経営している。首相はこの後、記者団に対し、自身の発言について、「まともなお医者さんが不快な思いをしたというのであれば、申し訳ない」と陳謝した。首相の発言に対し、